人口5千万人の日本、を前提に設計からやりなおすべき時期

 

日本が人口減へ向かうのは間違いなく、今の形で居続けるのは無理だろうと思います。それを見越して、まだ人がいるうちにいろいろ準備しておいたほうがいいんじゃないでしょうか。

例えば、限界集落のような、人がほとんど住んでいないところに、電気やガス、水道を供給し続け、郵便サービスやインターネットができるようにする意味はあるのでしょうか。そのための人材も今後確保できなくなっていくのではないでしょうか。

今後、人口が拡大していく前提で、道を作り行政を配置し、街が設計されています。それを無理に維持しようとしているよう見えます。その結果、使わないもしくは、利用人数が著しく少ない設備を、メンテナンスし続けなければいけない無駄が生じます。

それを、税金で賄おうとするので、本当に必要な設備投資にお金がまわせません。

そして、メンテナンスを実施する人間自体が不足し、お金があっても仕事を引き受けてくれる業者がいなくなる未来まで、だんだんと現実化しつつあるように思います。

将来を見越した設備投資を日本は戦後どんどんやっていったのが、バブル当たりで目算が崩れ、その設備投資の建築物というより、街の設計自体が今にあっていない、という状況をゆっくり放置しているように見えます。

ほとんど人が住んでいないところに、電気・ガス・水道・インターネットなどを引っ張ったら、都会よりもコストは高いはずなんですよね。無駄が多いですから。

いわゆる廃村的なプロセスが必要と思いますが、その際にはいろんなしがらみを解決しなければいけません。弱きを助ける、という最近の政治にありがちな、どの党も言っているようなことが、完全に邪魔になっているように見受けられます。

戦後レジームからの脱却とは、故安倍元首相の言葉ですが、まさに戦後のビジョンで作られた国土の設計をそのまま維持しながら、リプレースしているような有様です。

もし、今日本が未開の地で、ここから街を作るなら、明らかに小さな村や町が多すぎる。単に市町村の大合併ではなく、本質的に、物理的に設計を変えないと、結果誰もメンテナンスできない状況がやってくると想像します。

今は、不便な場所に住んでもインフラはあるし、ネットもあるし通販で頼めばなんでも届く、という大前提がありますが、これこそ無駄が多すぎる。居住地を全国人口5千万人を前提に再設計し、決定した居住地を作り変える投資をするのが筋でしょう。

逆に言えば、将来住まない場所は効率的に捨てなければいけないということです。

こういう思想は、ブログの上では自由にできますね。たとえばふるさとの村は、都会に出た人も、帰る場所として維持してほしいと思うものではないですか。でも、どう考えても維持する人自体が将来いなくなります。住む人も、維持する人も。

無駄が多いので、無駄に税金が高く、そして無駄にばかり投資するので国力が衰え、人口も減る。設計が悪けりゃ、どんな天才プログラマーが実装でも残念なシステムしか出来上がりません。

日本リプレースプロジェクト、始めるべきだと思うんですがね。こう税金ばかり高くなって世の中は衰退しているのを見ると、もう今こそ、なんですが。