ああ手順書よ お前は本当に味方なのか

 

技術的な作業をするときに、他人でもできるようにと、手順書を作る。

もういっぱい手順書を作った。でも、手順書なんて作らなくても作業はできる。

だから、むしろ作業しながら手順書を作ることも多い。

たくさん、たくさん手順書を作った。

そして、メンバーにもたくさん手順書を作らせた。自分ですら自分がやったことを忘れるから、作業ログ的に手順書を書いてね、と伝えた。

たくさんたくさん手順書が積み重なった。

繰り返すが、私自身は手順書がなくても作業はできる。誰かのために作った。

 

けど、メンバーは残らない。

私が作った手順書がメンバーに利用される前に、いろんな理由でメンバーが変わる。

手順書は残る。メンバーは変わる。

新しいメンバーが手順書を使う前に、まずはITの基礎を固めなくてはいけない。

手順書を真似しても、なぜそんな手順なのかを理解できるかはまた別の話だ。

新しいメンバーもまた手順書を作る。

古い手順書を模倣して。

そしてまた、手順書が作られていく。

私もまた、手順書を作っていく。

積もっていく手順書。

でも、メンバーは積もらない。

 

この手順書ってやつはなんなんだろうか。

手順書を作れば属人化しないというが、そんなことはないな。

むしろ、属人化できるならまだいい。

属人化できるスキルがそのメンバーにあるから。

もはや、属人化できるようなメンバーが集まらぬ。

教育した後、定年まで働いてくれるならまだいいが、そんな時代じゃない。

じゃあ配属して、手順書があるから、君の担当ね、なんてシステムあるのだろうか。

手順書は何をしてくれるのだろうか。

 

どうも最近は、手順書を信用していない。

システム運用をしていくうちに、システムの内部が新しくなって手順書がそのまま使えなくなることも多く体験した。

だから、作業をしながら、変わった点は新しい手順書に反映させていく。

反映させるんだけど、次にまたやったらまた違う。

この対応をするためには、やっぱりITの知識が基本になる。

いきなり未経験にはできない。

だから、手順書なんて、参考程度である。

ただ、未経験ほど手順書から離れられず、違った結果が返ってきて固まるのである。

 

ああ手順書。

お前は何者なんだろう。

私が書いた手順書は、誰にいつ読まれるのだろう。

というか、誰か読める人がいずれ現れるのだろうか。

じゃあ、どうやって技術はメンバーに伝えればいいの?。

お前は本当に味方なのか。

 

多分、考古学のように、残った文書を、手順書なども含めて後から詳しい人が読み込み、そして理解していくのだろう、きっと。

それか、システムのほうが朽ちていくか。

手順書なんて、そんな価値ぐらいしかないものなのである。