orangeitems’s diary

クラウド専任の40代インフラエンジニアが書くブログ。新規事業マネージャー。20世紀末の就職氷河期スタート時にIT業界に文系未経験で入りこみそのまま生き残った人。

作品がきれいすぎて、面白くない

 

最近20世紀の著作物をYouTubeなどで見ることがあるんだけど、ずいぶん今と違う。違うのは当たり前なんだけど、今の時代が失ってしまったものが隠れていると感じる。それは何か。

過去は、デジタル処理の概念自体が無かった。あっても性能が低くできることも限られていた。だから、結構生のまま、えいやと世の中に出されていた作品がたくさんあったように思う。歌番組は基本、生歌で一発撮りだった・・みたいなことだけじゃなく、そもそもCDの音源自体が今より全然不安定だった。不安定なりの良さみたいなものがあった。

20世紀末と言えば小室哲哉が音楽シーンを席巻したんだが、面白いことに彼はデジタル創作の第一人者のように映るが、歌い手さんは女性で、しかも「上手」を選ぶのではなく、歌心というか、歌唱の不安定さのほうを優先していたように思う。デジタルのきっちりしたところと、人間の不安定さを重ねることで、何らかのグルーヴ感が表現できていたと思う。

今は、デジタル技術が飛躍的に進化した。そもそも著作は人間でも、後ろのデジタル処理のほうが工数が多くて、実際の成果物に対する人間の割合がとても少なくなったように感じる。だから出来上がるものも「きれい」である。きれいなのだが、面白くない。パッションを感じない。思い出補正と言われるかもしれないが、20世紀の作品と比べると味気ない。味がない。きれいさでは全然今のほうが上なんだけど、出来上がったものは、これは何なのか。

テレビ番組でも生放送が見直されたり、口パク禁止なんて歌番組もあったりして良いのだけど、結局、生のまま再現するってお金がかかる。だからカラオケになったりして、結局デジタル再生からは逃げられない。

このところこの分野に、AIも入り込んできたりしてもう、人間の作品と呼べるのものを選別していくのはだんだん至難の業になってくるように思う。

多分、わたしのこのブログが、なぜか人に読まれるのもこの文脈だろう。あんまり推敲しないし、考え抜いてもいない。ただただ人が、赴くままに書くこの文章が、今の時代の成果物があまりにもデジタル処理されすぎて、きれいすぎて、面白くないんだと思う。

作品とか芸術とか言われるものに対して、大きなことを言うようなバックボーンは私自身にはないんだけど、デジタル補正、デジタル技術での修正、あまりにも手を加えすぎているのではないか。そして逆にその処理にお金がかかりすぎて、ありのままの生のものを世の中に出しずらくなっているんじゃないかと思っている。

世に作品を出す方は、もっと、できたままのそれを、自信が持てなくたって世に出してみればいい。技術が追い付いてから世に出す・・なんて考えている間に時間は過ぎてしまうのだから。