orangeitems’s diary

クラウド専任の40代インフラエンジニアが書くブログ。新規事業マネージャー。20世紀末の就職氷河期スタート時にIT業界に文系未経験で入りこみそのまま生き残った人。

この論理的じゃない世界をいかに論理的に把握するか

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世の中って、論理的ではないこと、多すぎると思う。

でもそれって不思議じゃない?。何か問題が目の前にあるとするじゃない。そしたら論理的に考えて一番正しく、あるべき方法を採用するでしょう。それが数珠つなぎでつながっているのが世界だとすれば、世の中は論理的に動いているはずに決まっている。

しかし、目の前に起きているのは、論理的じゃないウイルスと、論理的じゃない戦争で、論理的じゃない政策、あっちもこっちも論理的に理解できないことがはびこっている。

この、論理的というのは、結構独りよがりだと思うことがある。例えば競馬で馬券を買うときに、人々は何らかの論理を元に買うのだが、意見が完全にばらつくのでオッズが発生しかけ事が成立する。そして多数の人が負けるのだ。論理的なんて現実を目の前にするととても力がないなと思う瞬間である。多分に、情報を全て持っている人からすれば、その馬しか勝たないことがわかっているのに、その情報を持っていない人が大多数だから、偶然の神様が支配する、非論理的な世界が成立する。

つまり、論理的であるというのは、あくまでも情報を十分入手できた際にしか利用価値がない。情報が不十分であったり第三者がコントロールしたりすると、人々は十分に論理的であると信じるにもかかわらず、それこそ適当で不易な選択肢を選んでしまうことになる。

だからこそ、経験や知識というものが必要になる。論理的であれば真実に近づけるのは事実だが、情報を身に着けてこそのツールである。ロジカルシンキングの方法をいくら極めたって、そもそも知るべきことの入手を怠ってしまっては、ハズレ馬券しかつかめないのが、論理的であることの限界である。

インターネットやSNSは、量的に、人々を情報の渦に飲み込むことに成功した。おそらく情報処理量の上限まで垂れ流している。だからこそ、今は可処分所得時間の争い、というのが今のインターネット経済界の常識である。ツイッターが儲からないのは読むのは一瞬だが、TikTokやYouTube、Netflixなど、動画メディアは人の時間を多く奪える。人は、情報処理量の上限までたどり着くと「私は世界を知っている」と思い出す。そう、大して有益な情報を入手しているわけではないのに、なぜか情報を把握できているという感覚に陥り、そして論理的に考えるからこそ、踊らされるのである。

世の中が論理的ではないのは、人々が論理的ではないのではない。乏しい情報、偏った情報におぼれているからこそ、論理的ではないことを論理的だと思ってしまうのである。これはとても重要な示唆であると思う。

インターネットにあふれる情報、メディアニュースにしても、私のようなIT業界でずぶずぶに26年の経験を持って見ると、「うそばかり」と思うことがある。しかし、多数の人がそれをうのみにし、そちらの方向に行ってしまうのである。結構「しかたねえなあ」と思ってDX推進担当みたいなポストにいる人も多いんじゃなかろうか。そして、非論理的な状況を、なんとか論理的にしようとして奔走しているのである。その気持ち、わかる。

いいだろうか、情報は量ではない。質である。そして、聞きかじったような記者の記事や、営業バイアスのかかった宣伝記事ではなく、現場の人の意見こそが重要である。昨今コロナ禍により、現場同士の交流会のようなものが激減したからこそ、非論理的なデジタル判断が増えていると思っている。気を付けなければいけない時代である。