orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

会社は何のために社員へお金を支払うか

 

スマートフォンやパソコンって便利だな、と思う。

どこにいたって、自分へのメッセージを伝えてくれる。だからオフィスに行かなくたって仕事はできる。ビジネスチャットやメールなど、いろんな伝え方をしてくれるけど、とにかく何かを私に伝えてくれる。同じ仕組みで私が誰かにメッセージを伝えることができる。

何かの情報を受信して、何らかの加工を行って、誰かや何かに返す。ITの仕事は要約するとそういうことになるのだが、異業種であってもたいてい似たようなことをやっている。情報が自分にインプットされ情報処理を行い誰かにアウトプットし完結する。

情報処理の複雑さや、真似できなさ、処理の素早さや正確さなどで、本人の評価が高まっていく。

この話、逆から考えると、情報処理能力が低い人に情報が集まると、情報が処理できないままあふれたり、間違った処理をされるということになる。

いろいろな仕事があって、人々はあまりちゃんと考えていない話だと思うが、案外この図式でだいたいが標準化できる。情報処理能力が高い人は評価される。

 

さて、情報処理能力が高いというときに、大昔の人々は皆、手作業で対応していた。電卓と紙。それが今ではコンピューターが当たり前になっている。その結果何が起こったか。自動化だ。情報を受け取ってから処理して対応するまでをコンピューターがやってくれる。全ての判断がコンピューターではできないので、人間が介在する。半自動化と言うべきか。だからコンピューターを使いこなせるかどうかが評価を左右するようになった。それを「スキル」と呼ぶようになった。しかしスキルが仕事を片付けるのではない。情報を受け取ってからどう対応するかのロジックを感じ、再現性を突き止め、そしてコンピューターで実装するところまでを考え出すことを、人間がやるのである。そして二度目の作業における自動化部分を増やす。そうやることで、コンピューターの力で情報処理能力がブーストするという仕掛けになっているのが、現代の仕事だ。

人間が結果を出すことで給与を得ると言う場合に、単にその人間自体の情報処理能力というより、自動化処理も味方につけて結果を出せる人、が評価を得ることができるということである。

本人が仕事を受け取った上で、ほぼ全ての工程を自動化し、本人はほとんど手を動かさず正確にかつ迅速に、依頼主へ結果を返す。

そのとき、本人の工数はほとんどないのに、えらく喜ばれ、お金を大変もらうとしたら、いったい時給とは、月給とは何なのだろうか。

しかも、この自動化処理は、プログラミングやソフトウェア利用を超えて、AIが手伝うことが半ば見えてきている。もうChatGPTを使って仕事している人なんてたくさんいる。本人が、右にあるものを左にするときに使う筋力なんて、微々たるものになりつつある。また、コンピューターだけではなく、同僚・協力会社・ベンダーなど、人間関係すらコントロールすることもある。何しろ自分の中で手動完結する必要などまるでない。

もし仕事の姿を、どれだけ本人が汗をかいたか、という概念で理解している人は思いを改めるべきだ。仕事とは、結果を出すことだ。結果のために時間を使うのは時代遅れ。どれだけリスクとコストをかけず最短時間で結果を出すか。極端なことを言えば、本人の情報処理能力なんてほぼ使わなくても、依頼主を満足させることは普通にできる世の中だ。余った時間は、人間ならではの活動。考えたり、全く新しい成果を考えたりに使おう。それができるかどうかで、成長や評価の結果がまた変わってくる。

時代遅れの経営者が「あいつは働いていない」「働いていないオジサン」「監視して活動を記録せよ」なんて言ってるのがアホらしい。仕事は結果が全て。結果を出すための方法をアップデートし続けること自体が、社員の本分になるのが今の時代である。