在宅からオフィス通勤に切り替えた後の忙しさの正体

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オフィスに戻って以来(まだ3日目だけど)、忙しさを体感しているのだが、この正体はなんだろうか。だって、在宅で仕事してたときはこんな忙しさ感じてなかった。オフィスに来たら忙しくなるということは何か原因があるはずだ。

観察してわかったことは、オフィスにいる人は私を巻き込もうとしてくる。そりゃ、席に行ったら必ずいるんだから「そうだ、聞いてみよう」となるのは当然だ。もしテレワークだったら、チャットで「いま大丈夫ですかー?」と話しかけることになるし結局はそれでも同じことなんだけれど、これが多分全然入口として、差別化されているんだと思う。

多分、席まで物理的に来てくれる人は、用事もあるが雑談もしたい、単に用事の情報交換だけではなく、それを通じて物理的に近くで会話したということで共感性を得たいんじゃないかと類推している。

この、直接面と向かって、同じ空気を吸ってリアルタイムにその場を共有すること、ということを、オフィスに常にいると宣言することで不特定多数の人がそれを目的に自分の席まで来てくれる。

かつ、自分がそれを求めて、オフィスに在籍する人に向かい、チャットで済むようなことも一声かけて「あの件ありがとうございます」と伝える。

もう、これだけで、オフィスにいる意味ってあるんじゃないかと思う。中小企業でテレワークが忌諱されているのは知っているが、きっとこの機能の有無が大きな差として人々が感じていることであろう。

ただ、何でもかんでもオフィス礼賛、という話ではなく、遠くにいる人との会話として今まで電話だメールだという不自由な方法しかなかったのが、Web会議や各種SaaSサービスのおかげでロジカルな情報交換を行う手段は増えた。あまりにも遠いから、1年に1回しか直接会話できないというような客先に、毎月Web会議で話をする場を設けると大変喜ばれたりする。だから、状況に応じて使い分けるのが吉だろう。

さて、忙しさの話に戻る。オフィスにいたって結構Web会議はやっている。部下がテレワークだったり、商談がWeb会議中心というのもある。一見家でやっていることをオフィスでやっているだけなのだが、違いは確実にオフィスにいる人たちにある。この人たち、私のやっていることをそれとなく見たり聞いたりしているし、私も全然関係のない人の仕事を見たり聞いたりする。この一見無意味な情報交換が、どうも次の仕事を呼び寄せているように思える節がある。そんなことやってるんですか、みたいな。そして私がオフィスに必ずいることを前提に、ちょっと話しませんか、みたいなことが平気で起こる。

つまり、オフィスにおけるコミュニケーションコストは、とてもとても安い。誰かから得る、ということについて座っているだけでもどんどん収集されるし、人も寄ってくる。もしくはこちらからも近づきやすい。

このコロナ禍で、なんとなく、人と直接対面で話す、ということにプレミアムがついているような気もする。こんな危険な状況で、よく私に話しかけてくれたね、よく話をしてくれるね、ということ。それが半自動的に行われる。また、自分が仕事をしているという姿を周りに見せることで、あああの人は、真面目に仕事しているんだなというブランド力も上がる。ただ、そこにいるだけで、である。

在宅からオフィス中心に切り替えただけでこれだけ有意な差があるということは、むしろ在宅をずっと行っている人が得られないものがあり、時間が経てば経つほどに積み重なっていきそうだ。そして忙しさが比例してついてくる。多分この忙しさは現時点では正しい。うまく取り込んで消化していけば、まだ在宅中心の競争相手とは差がつけられる。楽は楽しいとは限らない。

きっとこういう感覚は、長いこと在宅したからという結果でもあり、すべてを糧とできるように動いていきたいと、忙しさの中、思う。