orangeitems’s diary

クラウド専任の40代インフラエンジニアが書くブログ。新規事業マネージャー。20世紀末の就職氷河期スタート時にIT業界に文系未経験で入りこみそのまま生き残った人。

何者にもなれない、という悩みについて

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「将来何になりたいですか」という質問を初めに投げかけられたのは中学二年生の時だった。私は、以下のように書いた覚えがある。

・漠然としている

・自分の生活に困らないくらいの収入があればいい

結局のところ、中学生風情でしかも、昔・・平成になるかならないかぐらいの時代だったのでインターネットもなくテレビしかなく、しかも信号もない田舎で暮らしていた私に何を聞いているのか、と今になってみれば思う。

そこから今まで、「何かになりたい」と思ったことは一度もない。相変わらず漠然としている。けれども、人に喜ばれるようなことをしていたかった気はする。方法は多分なんでも良かったけれど、どうせやるなら、やってて楽しいことが良いなと思ってIT系の会社を選んでみたけれど、それは正解だった。生きてて仕事をしている時間はかなりの割合なので、ピンと来ないことを仕事にするのは間違いに思う。

ほとんどのことは、長くやっていれば上達するものだ。当初の数年は人の成長スピードにばらつきはある。ただ十年、二十年となっていくと、あきらめさえしなければ間違いなく社会に寄与できるくらいの技術はつく。つかない方が難しい。それぐらい、時間と経験、そして続けるということは尊い。

よく、「何者にもなれない」ということの悩みをきくことがある。子供のころ皆目を輝かせて何者かになれるように、ということで教育を受けるのだけれど、知らないうちに選抜され、選択肢を狭められ、そして目指していた何かになれる人は一握りで、ほとんどの人が何者にもなれない、そんな悲嘆な現実を嘆く人はいる。

しかし、仮にその何者かになったとする。それでも現実は続く。布団に入り睡眠を取って、そして新しい一日が始まる。毎日同じことをしているようで段々とミッションは変質し、タイミングが来たらまた違う何かを求められるようになる。私も振り返るとそうだった。自分への期待も時間により変質し、それに応える自分も変化を迫られ、そして新しい何かに変わっていく。

何者か、をもし定義したとしても、それそのものがこのように変わり続けるのだからよくわからない。なれた瞬間があっても次の1秒にはもうずれているかもしれない。

おそらく世の中の誰もが、不完全感を抱えている。もっと素晴らしい何者かになれるはずではないのか。努力が足りないのか。経験が足りないのか。だからこそ転職したり勉強したり、もしくは趣味を始めたりいろいろである。しかしそれは満たされることは決してない。

案外と中学生の私は本質を捉えていたようで、そのときの気持ちは変わらない。自分は自分であり、そして自分は面白いや楽しいことに興味があり、かつそれが人のお役に立ててお金がもらえればなおよい、と思っている。それを乱すような、例えばつまらないこと、時間だけかかって実りの少ないもの、相性の合わない人、を避けられればいい。ある程度そんな漠然とした思いだけがあり、ふと気が付いたらある程度は実現できているように思う。良かった。ただ、これはいくら満足したとしても、次の一秒からは状況がまた変わっていく。自分が同じでいようとしても、人の期待、環境、どんどん変わっていくのでそれに適応しなければいけない。

だから、何者かになりたいという衝動は誰にでもあり、そのエネルギーは大切にするべきだ。しかし、「何者にもなれない」というのは意味としておかしい。常に自分は自分であり続けていて、そしてどうやって何者かになれるかを思考し、悩み続けなければならない。だから、何者かになれた瞬間があってもほんのつかの間の話だし、それを振り返ったところで全く意味はないのである。

そんなことで悩んでいる暇があったら、目の前の課題を1つ1つ丁寧に解いていくことのほうが甚だ効率がいい、と思われる。