給料分働くということに対する理解

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今日は「給料分働く」ということが話題になっているようなので、自分なりの理解を書き溜めておこうと思う。

私はここ数年、売上や原価、経費などの生の数字を見てきていて、仕事に対する数字の変動をダイレクトに感じられるので、給料と会社の経営に対する連動性は感じやすいほうだ。ただ会社を経営しているわけではないので、どれぐらいの利益が残れば適性なのかという観点についてはまた別の観点が必要だと思う。ただただ、売上があり利益が残るのを見続けている。

少なくとも利益が出ないことには会社は存続しない。売上があってそれを維持するために給料を支払い人が動く。人の動きに対して売上が少ないのではそもそも事業は成り立たない。人件費に毎月5000万かけているときに、月の売上も少なくとも5000万以上ないといけないが、トントンだとしても、では会社の家賃はどうする?。広告費はどうする?。会社の総務や経理、人事などの間接部門にもお金はかかるし、役員の報酬もある。そんなことを考えていくと、給料分の「売上」では全然会社など成り立たない。

数字に触れている人ならわかると思うが、事業にかかる人件費に対して売上は数倍はないとビジネスにはなりはしない。ここで自動化などで人件費をできるだけ抑え、売上を最大化すると生産性は高い。ただ人件費を必要以上に抑えると、優秀な人材は他社に流れるし、教育費をかけないと時間とともに人材が劣化していく。このバランスこそ命であり、社員レベルで「給料分働く」という表現がとても視野の狭い捉え方であることはわかる。

事業の立ち上げ時期においては、売上より人件費が上回っても不思議ではない。将来売上を成長させていくための初期投資としての人件費となる。うまく事業が成長していく過程において、従業員が定着しつつ報酬が上がっていって人件費が増えていくとしてもそれを上回る売上を伸ばしていければ、最終的には利益が残る体質となっていく。通常は3年から5年後くらいのスパンで事業計画を作り、実行していく。

こういう事業の全体進行の中で、自分の目の前の仕事がどの部分であり、どれぐらいの数字の影響があり、そして自分の給与を考える、というのが経営者マインドを持て、と社員が言われる所以であると考える。

ただ、この「経営者マインド」というのは非常に世間的に評判が悪い。従業員は雇われているだけの存在だ。会社がどう儲かろうと損しようと関係ない。ジョブディスクリプションに対してその達成を担保に給与が支払われるべきで、全体としてどう売上や利益を構成するかは経営者の仕事だ。どうせ会社が儲かったら株主や役員がかっさらう仕組みなのだから、労使は別のマインドであるべきだ、という考え方もある。これも論理的には成り立つ。

今後、旧来のメンバーシップ型ではなく、ジョブ型が中心の考え方になると、ジョブディスクリプションに対する市場価格が標準化し、経営者マインドなど考えなくてもいい世界があるかもしれない。ただ一方で、経営者マインドを持った管理職型のジョブスクリプションだって存在する。会社のカネ・モノ・ヒトの一部について責任を持ち、組織全体のジョブを設計して事業を適正化していくようなジョブ、さえある。その場合は経営者マインドは必要となる。

つまり、「給与分働く」とは今後完全に二分化されると考える。

・「技術型」求められる技術を発揮することに対する報酬

・「管理型」経営者マインドを発揮し利益と組織の継続性を最大化する報酬

しかし、給与分働くことに対する定義を議論すると、毎回、この2つが混同され、どちらの立場を取るかで意見が全然違い、全くかみ合わないまま、まるで労使間紛争のようになってしまう。

もともと求められるものが違うのだから、かみ合わなくて当然だ。

働く人々全員に問いたいのは、自身が前者と求めているのか、後者を求めているのか、はっきりさせた方が良い点だ。四十代も後半に入り私が思う観点として、どちらもできるタイプの人であっても、最後はどちらかが求められるということだ。プレイングマネージャーは両方必要になることは多いが、その場合に前提となる組織は小さい。ここから年齢が進んでいくと必ず、それより上位の責任や期待を求められる。その時、決断しなければいけない。技術で行くのか。管理型でいくのか。ちゅうぶらりんなままだと中途半端な存在で時間だけが推移してしまう。

若い時期だと両方経験しておき、どちらが自分が得意なのかを実際に経験して見るのもよいだろう。どちらも好きで決めかねるというのはわかるが、決断の時はいずれ来る、と伝えておきたい。