orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

国民が言うことを聞かないステージ

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新展開だと思う。政府がこれまで繰り返してきた要請、について国民があからさまに言うことを聞かなくなってきた。街も相変わらず賑やかだ。

一方で、政府は、ロックダウンは絶対にしないと言う。

結果論としては、緩和方向である。

建前としては、緊急事態宣言の範囲を広げるなど緊縮方向のように見えるが、政府の発言が出るたびに思うのはこれは明らかに緩和方向である。

 

そもそもオリンピックを開き、開会式の場に天皇陛下までお呼びして、首相と都知事までが参列していれば、これはもう明らかに緩和のメッセージである。

大人の世界は複雑だ。発言は全て、ステイホーム、リスクを控えて、といつもながらの、お決まりの緊縮発言だが、それらに強制力は設けないと言う。強制したところで欧米で感染は収まったかい。違うよね。だと。

それよりもワクチン。ワクチンを早く打ってしまえば今の我慢はしなくてもよくなるから、ワクチンの接種体制を強化します、と言う話でいつも首長の話は終わってしまう。

結果として国民が受け取ったメッセージは、もはや感染者数が何人になっても政府はこれ以上なにもするつもりがないと言うこと。そうか、何もしないんだ。これまで要請、要請を繰り返し、それでも政府は感染を抑えることができなかった。そしてもう何もしないと繰り返し言っているしオリンピックもやっている。その上でこれ以上の対策はしないと言っている。

効果のない今までの政策と、ワクチン待ちという脆弱な状態で、さて国民はどうすべきか。もう、政府の言うことに従っている義理もないだろう。従う根拠が薄い。ワクチンを接種したらもう我慢しない。いや、ワクチンだって待っていられない。感染しないためのリスク行動はもうわかっているのだから、それを逸脱しない範囲で、何でもやるのだ。

人生の時間は限られている。それは自分自身だけではない。帰省先には待っている人がいて、来年も元気にしているかはわからない。それなのに、こんなに根拠の薄い要請にいつまで応えていればいいのか。

 

かなりの人々がこういった思考に発展しつつあると思う。これまで「緊急」「山場」「これが最後」と言った言葉で国民を説得してきた。しかしオリンピックを強行したことで国民からは、ああ、本心は違うのだということを悟られてしまった。各知事レベルでは冗談じゃなく、現場は大変だ。しかし政府は知事に現場を丸投げしているマネージャーであるので、世界との調整の方を優先した。オリンピック然り株価対策然り、個々の事情よりマクロの、大局的な行動をしている。もう経済活動をこれ以上止められない。欧米が緩和に向けて続々と手を打ち緩和方向へ向かっているのに、日本だけが乗り遅れてたまるか。そんな政府の深層心理が国民に分かりやすく伝わってしまったのが、オリンピックの開催だったのだ。

日本人はこれまで何度も災害に巻き込まれては復活してきた我慢強い国民性を持つのだが、実は長期戦には弱いと思っている。我慢できる期間は一年間で、それ以上好転しないと途端に統制が取れなくなる傾向があると思う。バブルがはじけたあと立ち直るのに二十年はかかったが、下り坂が長く続くと抜本的に方向転換しV字回復させるのではなく、そのまま沼にずぶずぶとハマっていく。

今回もその例に漏れず、政府は国民をリードできなくなり、そして国民はもう自分で何とかするしかないと思い始めた。結果として外国から見て、「ああオリンピックやってるし日本も緩和するんだな」と思われた。もともと、「経済は一流、政治は三流」と揶揄された国でもある。おそらく実力も現実もこんなものだ。

国民が言うことを聞かなくなって、オリンピック後は帰省が始まり、さらに高い波が来るのは私は(強調しておくが個人的には)間違いないと思っている。

そこで、実害というか、大変な状況が来て大きな山を作って、最後にこのコロナ禍が終結すると見ている。

 

最後に100年前のスペイン風邪の話をしておく。

 

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 しかしその後、翌年春までにいったん流行は下火になる。理由は定かではないが、気温が上がったことに加え、免疫を持つ人が増えたことも影響したはずだ。

 しかし1919年の秋以降、再び「後流行」が日本を襲う。特徴的だったのは「前流行」に比べ死者が約12万7000人と半減する一方で、致死率が1.2%から5.3%へと上昇したことだ。速水はこの点について、別の型のウイルスが登場したわけではなく、同じウイルスが変異し、強毒化したためではないかとみる。新聞は「前流行」ほど騒がなかったものの、全国的な流行が断続的に生じ、終息したのは翌1920年春だった。

 100年前とは時代が異なるものの、このパンデミックから学べることは少なくない。実際、速水の著書を読むと、マスク不足や物流の遅延、船内での蔓延などコロナ禍に通じるエピソードが多いことに驚かされる。ただ、現時点で最も注目すべき点は「後流行」の存在だろう。

 これまでのところ、新型コロナ流行の波はスペイン風邪の「前流行」とかなり似ている。そうだとすると、新型コロナも2021年春には下火になる可能性がある。ただ、それが流行の終息を意味するとは限らない。油断すると「後流行」に火が付くかもしれないのだ。

 特に、流行から1年が経つことで懸念されるのがウイルスの変異だ。スペイン風邪のように強毒化しないにせよ、ようやく接種が始まったワクチンが効かなくなる可能性がないとは言えない。どうすれば感染防止と社会・経済活動を両立させられるかという難題は、春以降も引き続き考えていかなければならないということだ。

 

よく似ている。そしてスペイン風邪も、その後流行を乗り越えて終わったのだ。

ここからが本番と見てよさそうだ。

※本文は全て個人の感想です。