orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

数字ばかりを追い求める組織で起こること

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私は成果主義的な世界に結構長いこといるのでわかるのですが、結局自分の身を守ってくれるのは数字しかありません。数字が、売上なのか、利益なのか、それとも別の指標があるのかは会社によって違うでしょうが、それは数値化されることで見える化されます。もし誤った数字を指標に置いてしまったら現実ごと誤っていくのですが、それは経営者の責任になると思います。経営者が決定した数値目標に対して、どれだけ達成したか、あるいは達成しなかったかで、個人の成績は決まっていきます。

数値で評価が上下するのは確かにわかりやすく、評価に対する不満も出にくいのですが、組織で生き残ろうとする場合は数字に対する戦略が重要となってきます。

 

戦略とは:

・当年で著しく良い成績を取った場合、当年での評価は非常に良くなるが、来年以降はそれが高いハードルとしてそびえ立つことを忘れないようにしなくてはいけない。

・人事評価は成績が良ければその分比例して良くなるが、天井がある。例えば計画比5倍達成したとしても、人事評価は150%くらいが天井になる。だから、あまりにも突き抜けた達成は個人にフィードバックされにくい。

・次年度計画は、今年度成績よりも高い成績を求められやすい。今年よりも来年の数字を上げることにより、会社の成長となる。仮に売上や利益について減収もしくは減益で計画を出すと、事業はもう成長しないと判断され、部門への期待度が下げられる。

・毎年成長しなければいけないとすると、急激な成長より、なだらかに成長していく方がリスクが少ない。「前年越え」というのは小さくても大きくても説得力を増すので、それならば小さい方が楽だ。

・計画に対して、未達とは、能力がないことを内外に示す。これを何年も続けていると会社に居場所がなくなる。また、マネージャーの立場の場合、部下が付いてこなくなる。

 

数字ばかりを追い求める組織には上記のような特徴があることを感じていますし、私も意識的にやっています。しかし、これらの工夫は会社の経営を安定させる面はあるものの、副作用も感じています。

 

具体的な副作用の例:

・大きな成長を遂げた場合に、その次の年の計画がそれを織り込んでしまうので、その年の売上や利益を次年度に先延ばしにしようとする。なんやかんやと理由を付けて。次年度が楽になるし、今年の成長をなだらかにできる。一方で、急激な成長をする持ち下ーションを妨げてしまう。

・普通の仕事の仕方では数字が出せないときに、(残業や休日出勤など)無理な仕事の仕方でリカバリーしなければいけないという雰囲気が醸成されてしまう。そのため、不振部署の労働環境が悪くなり、モチベーションも下がり、悪循環に陥ってしまう。

・数字が悪いマネージャーやその部署のスタッフが、悪者扱いされてしまう。

・成長のための投資が経費扱いされてしまい、教育や商品開発にお金を使えない。

 

数字が悪い時に組織が壊れがちなのは誰も想像するのですが、このようにいい数字の組織であっても副作用は起こるのです。

成果主義を100%否定することはありえないのですが、単年度の数字にこだわると、中長期的な、売上や利益を増やす活動に評価を与えないことに近づきます。

むしろ、消化すべき予算を組織に割り振り、それを使い切らない部署は中長期の成長に対して無関心だ、くらいやらないと利益中心の組織は動きません。投資しなければそのまま経費節減になり単年度の利益になりますから。だから数字を追い求めればいいというのは過ちで、その使う数字について多面的に考える必要があるのです。

昨今の日本企業には超右肩上がりの成長をする企業が減ったような印象ですが、過度な単年度成果主義によって、失敗を許さない風土が原因になっているのではないかと思うことがあります。数字での管理は見えずらい人間の工夫が反映されにくいことを知り、それをどう評価に反映させるかを考えないと、目の前の利益の数字合わせばかりに社員が翻弄されることにつながります。