orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

インターネットが失くしてしまった体験を取り戻す方法とは

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インターネットの前身、パソコン通信を体験できているというのは今になってみれば貴重だなと思います。

私はパソコン通信の世界、ぼったくりのような値段構成はともかく世界観は大好きだったんです。昔ほど公の取り締まりがなく自治によって成り立っていた世界だったので、結構何でもありでした。

パソコン通信はつながっている時間でお金を取られるので「オートパイロット」、つまりフォーラムの掲示板にあるテキストデータを順番にダウンロードして、すぐに遮断する、みたいな楽しみ方をしていました。つなぎっぱなしで呼んでいたら、千円単位で課金額が上がっていく世界でした。

そこから大きなインターネットの波が来て、パソコン通信は歴史上の役割を終了し消え去るのですが、そこで代替となったのが2ちゃんねると、たくさんの「個人ホームページ」だったと思います。そこからニコニコ動画の初期ぐらいまで、雑多な世界は続きました。

共通点としては、何を書きこんでも自由で匿名だという前提です。書き込むことそのものをリスクだと思う人はあまりおらず、オープンな世界が広がっていきました。

流れが変わったのが、インターネットにまつわる数々の事件でした。現実の世界がインターネットでのコミュニケーションによって混乱し始めたのです。警察も看過できず、危険な書き込み等は監視するようになりました。今では、インターネットは自由に書き込める場所ではないというのは誰でも知っています。

第二に、インターネットはリアルタイムのコミュニケーションを避けるようになりました。一時期パソコンでオンラインゲームが流行したころは、リアルタイムにコミュニケーションすることが最先端でしたが、そうなると遊ぶ約束を約束してしまうと、現実の時間が縛られる副作用が苦痛になりました。インターネットにおいて同期型(WEB会議のような)の遊びより、非同期型(掲示板等)の方が好まれるようになりました。Twitterやインスタグラムなども完全に非同期型で、好きな時間に触ればいいことが前提です。

つまり、

公序良俗を意識し、自由に書き込めなくなった

②同期型より、非同期型が好まれるようになった

この2点がパソコン通信以来続いてきたインターネットの体験を変質させてしまったように思います。

ではなぜ、この変化が起きたのでしょうか。

それは、インターネットの社会が村社会から都会へ成長してしまったからだと思います。狭い参加者で秩序を保っていた場合、公の機関がコントロールする必要がないのです。村においては交番におまわりさんが一人いるだけで、村全体で治安を維持していることも普通です。しかし都会ではそうはいきません。いろんな人が集まるため目が行き届かず、かつ参加者同士の理解も薄いので、性悪説で人を監視しないと治安が保てないのです。

そして、都会の方が人々の出会いの回数も多く煩雑なので、毎回同期型でコミュニケーションしていたら時間がいくらあっても足りません。したがって、できるだけ非同期でコミュニケーションを緩く取っていこう、という最適化をします。

今年、ClubHouseというSNSが流行しましたが、その走りは「ムラ社会」だったように思います。セレブしか入れないというところから始まったのですから。しかし急速にメジャーになっていくにつれ熱が冷めていったのは、このインターネットの変化を半年くらいで駆け抜けてしまったためかと思います。

私が最近注目しているのが「地元」です。都会の中にある村社会です。

住民同士、直接出会って活動するだけなのですが実はインターネットが失くしてしまった経験が詰まっています。コロナ禍でテレワークが普及し、オフィスにも週5で行くことも稀になってしまった現在、住んでいる場所が救いになる可能性を感じています。参加人数が限られますし、それぞれが理解し合えることができれば高度に自由な会話ができるようになるからです。インターネットではできないレベルのコミュニケーションがそこにはあります。

インターネットをツールとして利用しながらも、地元のコミュニティーがそれぞれの地域で盛んになれば、もっと日本人は豊かになれるのかもしれません。