orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

「内向的」「内気」な性格、なんてない。

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他人はとても健康そうに見えるとともに自分自身が劣っているんじゃないかと考えるのは、若いころの幻だったんだなと気づくのは四十代になってからでしょうか。

自分の心の中は自分しか見えなくて、おかげでいろんな感情や思いが渦巻いていることを知ってしまっていますよね。でも、他人にはそんな仕組みが働いていることなんて知りやしない。でも、他人も同じ人間ですから、個々の人たちの中にも、迷いやネガティブな感情も同じようにあるんですね。

しかし、自分だけが、何か劣っているんだ、ということを表現するための言語に「内向的」「内気」という単語があります。小学生までさかのぼると「明るい」「暗い」という表現が有名です。それを見える化するときに「友達が多い」「友達が少ない」という尺度が用いられがちです。

でも、内向きとか外向きとかって、何の客観的な理屈も実はありません。単なる感覚の話で、何かが向かうわけでも何でもありません。結局は、自分に関心があるか、外界に関心があるかというだけの話です。

この話の一番理屈が成り立ってないのが、自分に関心があるからと言って、外界に関心がないとは限らないということです。

また、外界に関心があるからと言って、自分に関心がないとも限りません。

そのときの環境や立場によっても、外界に関心が出たり自分に関心が出たり、同時に関心があったり、何にも関心が無くなったりします。

対立軸ではないんです。

明るい人と暗い人、というような、レッテル張りの人物評価を若い世代は人間に対してしがちですが、これは本当に何の的も得ていない、なんとも薄っぺらい人間観です。

会社にいるときに、とても仕事や業績に関心を持ち、能動的に動くとします。そうすると向きは外なので十分外向的と表現できるキャラクターを発揮できますが、だからといって学生の時に「明るい」「外向的だ」と言われていたかというとそうとは言い切れません。

単に、学生のときに関心を持つものが見当たらなかっただけかもしれません。他人に関心を持つほど、他人が自分に対してアウトプットしていなかっただけかもしれません。

自分は内向的だからこうしよう、などと、自分の性質にレッテルを貼るのは絶対に意味はありませんし有害です。それより、関心を持つこと。楽しいと思うこと。自分が何をそう思うかに興味を持ちましょう。その方向に行けば、当たり前ですが興味が外界に移りますから、傍から見れば外向的な/明るいあなたに見えることでしょう。自分は自分ですから、内向的だの外向的だのというのは、それぐらいうつろいやすいものなのです。

こう書くのも、私自身が若いころは、内向的かもしれない自分に悩んだから。でも、仕事を通じて人生を重ねてきて、ちっともそんなレッテルが当てはまらないことに気が付いています。何より自分が楽しいと思うことを優先すること。楽しさは興味を呼び、興味は学習につながり、知らない間に知識となります。そうやって自分自身の行動が能動的に自然と変わっていくのを感じながら、今となっては、無駄な悩みだったな、と思うのです。