定期的に、独身中年いじり、みたいな記事が出てくるね。需要があるんだろうか。
時間を有効に活用して、人生や生活を充実させるにはどうしたらいいのか。文筆家の御田寺圭さんは「自己研鑽や婚活、キャリアップのために時間をつくらねばという気持ちを抱きつつ、家と会社の往復、帰宅後は動画を見ながらリラックスという日々が快適すぎて、気づけば中年になって“何もない”自分に愕然とする人も少なくない」という――。
1つの記事に何回NetflixとYouTubeを散りばめてくるんだろうと思った。それだけがインターネットのエンターテイメントじゃないだろうに。その2つが企業規模が大きいから例として書いただけなのかな。
さて、独身ではないが私も、気づけば中年になっているね。振り返っても自己研鑽もキャリアアップも全然時間作ってなかったけど、元気に生きてるよ。
そういえばコロナ禍のおかげで、在宅勤務が増えて、働くということについては負担が減ったね。負荷が高い単体業務があるときには問答無用で在宅するようにした。うるさいんだもん、オフィス。雑音聴きながら、高度な仕事なんかできないよ。ワイヤレスフォンしてオフィスで仕事するときもあったけど、何のため長い通勤時間使ってオフィスに行ってるかわけわからなくなった。
ちなみに、NetflixやYouTubeが、内向きエンタメだとは全然思えないのよ。だってスマホでも見れるでしょ。外にいたってネットはつながってる。外に行ったらわかる。みーーんなスマホ片手に、もっと言えば駅でスマホ片手に移動中も動画見てる人もよくいるよ。危ないよ。
みんな、外にいながら内向きなの。コロナ禍でその傾向はもっと強くなったね。リアルの関係性よりネットの関係性が強くなっているし、エンタメもスマホで済ませる人も多い。みーんなスマホに向かって忙しそうよ。
外だ内だっていう感覚自体が、もう古いと思う。
結局、ここで言っている停滞に対する焦りって、ある程度我慢できるレベルで変化がないまま人生の時間が減っているということだよね。
それって、いくら変化させても、同じだよ。
停滞しようが停滞しまいが、人生の時間は等しく過ぎて行くよ。
人生の最後のときに「もっといろいろやっとけばよかった」と思うかと言うと、等しくみんな思うだろう。
変化させなくても時間は過ぎる。
変化させても時間は過ぎる。
独身だろうが既婚だろうが、金持ちだろうが貧乏だろうが、名誉があろうがなかろうが、みんな同じだけの時間を感じ、使っている。
変化させてみても、人生の残り時間は変わらないし、私が今、中年であることには変わりがないわけで。何をそんなに、変化させないとと焦る必要があるのだろうか。
・・と思った。冒頭の記事を見て。
それともあれか、人生の終わりに、カラオケみたいに点数が出て、「資産/楽しさ/名誉/人間関係」みたいな尺度で多面的評価をされて、全国で何位か競い合うゲームなのかこれは?。
そんなことはないよね。他人なんてどうでもよくて、自分が決めて自分で納得すればいいものだもの、人生なんて。
例えば、生まれながらにして資産家で、何不自由ない暮らしをしている人は、人生ずっと平坦かもしれないよ。だったら、閉塞感を感じざるを得ないじゃない。
充実って何を言うんだろう。
自分が、自分の人生の評価を決めるとすれば、自分って特別な存在じゃない?。
自分の評価が高くなるような行動を、今日、自分自身で決めて、自分自身が行動して、それで一日の終わりに、明日への反省にする。
それだけでしょ、人生なんて。
関係ないよ、独身やら既婚やら。ライフスタイルやら。キャリアやら。
自分の人生、他人と比べるだけ、無駄だと思うよ。