orangeitems’s diary

クラウドで働くインフラエンジニアの日々の感想です(ほぼ毎日更新)。

健康で文化的な最低限度の生活

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社会が平和であり続けるためには、生活できない人をできるだけ減らさなければいけないと思う。生活できない人々がある程度集うと反社会勢力になり得る。そして規模が大きいと革命が起こっている。革命が起こると体制派と反体制派に分かれ内戦状態となる。これは平和ではない。

大金持ちについては、これは一兆円でも百兆円でもあまり議論の意味はなくて感覚的な大金持ちでありその金額の大小にそこまで意味はない。しかし、生活できない人、困窮者については例えば月一万円しか収入が無ければ住宅費・食費・被服費・電気ガス水道・通信費など、もちろん間に合わない。だからとにかく生きているだけで、お金は渡さなければいけない。

働かざる者食うべからずとあるが、実際には働かざる者が食わなければ餓死してしまう。餓死してしまうぐらいなら、この社会を壊してやろうという動機が生まれても不思議ではない。だから、働かなくても食えるべきなのだ。働かない者でも、消費者の側面はある。消費する立場がなければ、働く者が生産してもどこにも届かないからお金がもらえない。経済が成立するためには働かざる者はせめて消費者であるべきだ。ただ、働く者に対して働かざる者のほうがたくさんの消費をするのはとても不公平だ。だから、健康で文化的な最低限度の生活、という憲法に書いている話につながる。

働かざる者にまでお金を与えたら、社会で必要な労働力が確保できないのではないかという議論もあるが、しかし、人とは基本的には働きたい欲求が備わっていると思われる。ただし仕事内容は何でもいいということではなく、本人の希望もある。社会全体で労働が分散されるような施策は必要であり、人々は、社会が欲しがっている仕事を見つけ自分の能力と照らし合わせたり教育を受けたりして、そしてこの世の中はうまくまわってきた。

ただ、このコロナ禍で、社会が必要とする仕事は大きく変わった。それに対して適応できた会社はむしろ伸びたし、できなくて、政府から給付金をもらって凌いでいる会社もあるし、適応するより清算したほうがいいと閉じてしまった会社もある。それはいろいろあっていい。ただし、あまりにも変化が激しかったので、労働できなくなった人がかなり生まれてしまったのではないかと危惧している。それは自己責任、では冒頭のように平和を乱してしまう。適応できなかった人には文化的で最低限度の生活を保障するような動きがないと、近い将来集団で日本社会の秩序を乱すような勢力が生まれてしまうのではないかと思う。

2000年初頭に、自己責任論が強くなった時代に、逆に「セーフティーネット」という言葉も流行った。リスクを取る自由と同時に、失敗しても安全が守られるという仕組み。このコロナ禍でセーフティーネットは働いているか。コロナ禍要因で失敗する人々に、安全な仕組みは与えられているのかが非常に気になっている。それは自己責任と言う言葉で決して片づけてはならず、社会不安を生み出さないためにも一度、コロナ禍前にすでに困窮者だった人がさらに落ち込んでいないか。そして新しい困窮層が生まれていないか、彼らにセーフティーネットを改めて提示すること、それらが重要になってくると思う。

冒頭の話に戻るが、お金というのは目に見えないものでそして必ずどこかの大金持ちに偏って存在し、そしてどこかの困窮者に偏って存在していないものである。この偏りが急激だと、格差社会という言葉で説明されるようなロジカルではない待遇の差が生まれてしまう。成功したからとか評価されたからとかではなく、もう理屈のつけようがないほどの差で、困窮者の生存権すらはく奪してしまうぐらいである。これを正すのが政治の力になるのだが、今や政治は法律でがんじがらめになって、その運用をするのに精いっぱいになってしまっているように思える。はじめは良かれと持って作ったルールが、乱発されるとその整合性を保つのが大変になる。そしてルール自体を理解することだけでも専門性が伴い、そして運用できる人が少なくなっていく。そんな状況が見え隠れする。

今は、自己責任論を止め、生存権すら失われかけている人がどれだけいるか、総点検すべき時だろう。そして、どういう手でセーフティーネットを提供できるかをわかりやすく表現し、一人でも多くの人が健康で文化的な最低限度の生活を確保できるようにしなければ、近い将来大きな社会不安が起こると予想しておく。