orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

働かざるもの食うべからず、って過激なことを言うよね

 

「働かざるもの食うべからず」という言葉をご存知でしょうか。

働かなかったら、食べるなと言ってますよね。

働くという言葉の解釈は広いので、単に会社に勤めることだけではなく、専業主婦でも親の介護でも、子育てでも働くの一部だとは思います。ともかく、何か自分が手足と頭を動かして他人の役に立たないようであれば、食べるなと。

食べるな?、食べなかったら生命の維持ができません。

これは過激な表現なのに、なぜかことわざとして普通の言葉になってます。

多分、学校や教科書には登場しないんじゃないでしょうか。言葉通りの意味で考えると過激すぎると思います。そこまで言わなくても・・と思いますし、働くの意味の解釈次第では、たくさんの人に不快感をあたえてしまいそうです。

 

この「働かざるもの食うべからず」ですが、実は語源はキリスト教の新約聖書です。単に働かないという意味ではなく、怠けるもの、働くことができるのにしない人。そういう人全体を戒める言葉として書かれています。

また、過去、ソビエトの政治家レーニンが「社会主義の基本は、働かざる者は食うべからず」と言いましたが、これは不労所得で働かない人のことを戒めた文脈でした。

歴史をひもとくと、宗教は人々の心を作りましたから、人々をあまねく働かせることは政治と強く結びついています。国民全員が働くと大きなことができますから、それと生きることを宗教的に強いることで近代が大きく発展する礎になったと思われます。

一方で、身体的・精神的な不自由で働けない人のことまでは含めない概念のようです。そりゃそうだよなと思う反面、誤解が強いなと。しかも現代の働くは、金銭的な報酬とセットで使われることが多いですから。

専業主婦も減り共働きが増える基礎となった言葉のようにも思えます。定年の年齢がどんどん繰り上がっていくことに社会的な抵抗感がそこまでないのもこの言葉のせいなのかな、と。

 

なお、ここまで論を進めると、日本国憲法にある「労働の義務」の話が気になりませんか。なんと、アメリカGHQの憲法草案には労働の義務が描かれていなかったとのこと。

 

www.sankei.com

スターリン憲法の規定が日本国憲法に持ち込まれたのは、一つには鈴木安蔵というマルクス主義を信奉する民間研究者らによる「憲法研究会」が昭和20(1945)年12月26日に発表した「憲法草案要綱」に「国民は労働の義務を有す」と規定され、その影響を受けた日本社会党が第90回帝国議会の衆議院の審議で追加提案した他、憲法の原案を起草したGHQ(連合国軍総司令部)民政局にもベアテ・シロタら社会主義の理解者がいたからです。

 

つまり、日本の憲法って、社会主義の影響を受けているということなんですね。

で、学校でこの「食うべからず」なんて言葉、言わないでしょうけど、きっと家庭の中で知らず知らずのうちに親から子へ、かなりの恐怖や不安感を伴って伝わっているんじゃないかな、と思うんですよ。

そして、共働きにおける働くことと、出産や子育てが、かなりバッティングするのが事実でしょう。なのに、このままでは、みんなが狭い意味での労働市場に出ていこうとしてしまう。

だから、もはや今の時代において、働くことを画一的に国民全体の義務にするような精神性、つまり「労働の義務」の記載は憲法から廃止したほうがいいんじゃないのでしょうか。社会形成において悪影響が強いとい思います。