orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

時代の変わり目は2023年10月だったのかもしれない

 

このブログ、6年もやっているとトレンドの変遷があります。初めはまとめブログを作ろうと思ったのですが、Google検索がまとめブログを排斥した流れもあって、作文しようかと思い立ちました。ニュースの感想、みたいなものが多かったのですが、だんだんと自分のことを語りだして、特にコロナ禍あたりでより内省的になって言った気がします。

そして去年の今頃、世の中が急に明るくなって、コロナ禍終わろうかみたいな雰囲気が生ずるところに人々の葛藤が生まれました。せっかく新しい世界に慣れたのに、その新しい世界がまた古くなると言うのでしょうか?。その通りです。元に戻るのではなくその後の世界になりました。急に日本や世界は活動を始めましたが、何を始めるかと思ったら戦争でした。

戦争ってドカーンと始まってメタメタになるかという先入観しかなかったのですが、蓋を開けてみると、結構時間をかけてやるものらしいですね。国家運営をしながら戦争もやってる、みたいな。そしてロシアとウクライナ、みたいな話だけだったのが昨今はアラブ世界が混じってきました。

日本はまだ直接巻き込まれてはいませんが、国家間のストレスを、戦争で解決することを安易に人間社会が選ぶことはよろしくないことがもっと世界の共通認識になってほしいところです。理解できない者同士でも同じ星で暮らさねばならぬ運命において、戦争が当たり前のように発想されるのは悲し過ぎます。

ところが日本で暮らしていると、世界の激しさとは一方でなんだかぬるま湯のような日々が続いています。いろんなものが値上がりしている状況を何とか政府がやりくりしていて、ここを凌げば平穏に戻ると言いたげだが時間だけが経っています。もしかしたら世界は変わり続けているのに日本だけが2019年以前を追いかけていてズレがどんどん広がっているような気もしなくもありません。そんなの無理なはずなのに。

今は、結構な日本人がこのままでいいんだっけ、って疑いを持ち始めていると思っています。世界の動向に対して日本はこのままでいいのでしょうか。今の生活をずっと続けていくことが「持続可能」なのでしょうか。

サスティナビリティーを相当気にするようになった社会なのに、何だか自分たちの社会自身が継続しなそうな雰囲気がどんどん漂っています。インフレに、超高齢化社会、しぼむ地域に、日本の基幹産業である自動車に対するEV化など、何とも難題山積、ではないでしょうか。

それなのに、面白いのは私たちの前に明日の仕事はあり、都会に行けば店がありWebを開けばたくさんのものが売られていて注文すれば手に入るということです。

遠い未来を考えたらきっとうまくいかなそうなものなのに、目の前は今日も明日もきっと変わらない。この不連続性を今まさに、コロナ禍を通り過ぎた人々が不安に思い、そして言葉を失っているような気がします。目の前のことだけがんばろう、とりあえず、でやってきたが、本当にそれでいいのか、と。

この手の話で思うのが、何やら社会の皆様がやさしい、ということです。きっとみんなで不安感を共有し、そしてそれを言語化できず、でも沈む時はみんな一緒だよね、その日までがんばろう、というような変な連帯感が生まれているような気がしています。

きっとこの不安感を言語化すると、また今の時代にあったブログが書けそうな気がしていますがどうでしょうか。