orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

イデオロギーのない世界

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政治の世界の話だけど、私は数十年前に学校で習った話だと、イデオロギー、主義主張のようなものがあって、それに基づいて政党が分かれ、国民が投票する、みたいな世界観が語られた。しかし、過去の推移を辿って考えてみると、結局日本にはイデオロギーなんてないんじゃないか、と思うことがある。

結局政策なんて、そのときの社会の様子を見て、そのときに一番良いと思われることで、そして国民にウケのよい方法を選ぶしかないんじゃないか、というぐらい個々の政策はその場その場で決めているような気がする。

でも中国と日本、アメリカでやり方が違うじゃない?、と思われるかもしれないが、それぞれの国は長期間、大きなやり方の変化はしていない。構成する国民はいつも同じなのでそんなに大転換しようがない。会社勤めしていて会社全体が変わるときと言うのは、株主が変わって経営陣総とっかえ、みたいなことが起こらない限り、方針が大きく変わることはそうそうないと思う。でも国ではそういったことはクーデターでも起きない限り起こらない。ミャンマーが今ひどいことになっていたり、香港が中国化される、みたいなことが、本当のイデオロギーの変化だと思うが、基本的には選挙によってあんなことが起こるとは思えない。

だから、政治と言うのは「誰が担うか」という命題こそが特に日本においては大命題なのだと思う。誰がやっても仕事内容は同じだけど、誰がやるかで大きく結果は違う。まぁ会社の仕事だって似たようなものかもしれない。別に、課長は課長をやりたくてやってるんじゃなくて、課長やれって言われてるからやってる。そして人によって課の成績も全然違ってくる。誰がやるか、という問題は思ったより大きい。

一時期流行した「マニフェスト」という考え方がある。私が担当したらこの政策をやる、ということ。でも実際にはマニフェストをやり切れた政党はいなかった。実際やろうとしたらいろんな問題に直面し、マニフェストは曲解されて骨抜きになった。国民も白けた。結局はマニフェストではなく、本当にできるのか、君はできるのか、というのが問題なんだと思う。

長い歴史の中で、例外の時期はあるものの自民党が政権を握り続けているのは、彼らのイデオロギーと言うより、政権担当能力がある人材が集まっているその習性なのではと思っている。よくよく個々の議員に考え方を聞いてみるとおそらく真反対の話がぞろぞろ出てくる。でも、いざ政権を担うとなると個々が協調の姿勢を持ち、目の前の問題に対して最適解を出し何とか国政を動かしていく。その信頼感が全てなのではないかと思う。逆に言えば、何かと政策に対して反対を唱えるだけの野党が、本当に政権を担えるのか。最適解を導くことができるのか。イデオロギーに執着しているというより、反対を唱えることで、与党とは違う野党を演出しようとしているだけではないか。そんな疑問符しかない。逆に自民党側にイデオロギーが無いので、野党は独自色を出しにくいのではないかなとも思う。

コロナ禍然り、未来には何が起こるかわからない。だから過去に囚われたマニフェストで政権を選ぶのではなく、未来の未知ないろんなことへの対応能力で政権を選ぶという国民の選択方法は、しばらくはこのままだろうな、という感想である。