orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

新型コロナは誰でもいつかかかるという前提が大事

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コロナ禍は既に始まって1年半が経過しています。以前は「コロナ騒動」という表現が良く使われましたがもうこれだけ長く続くと、騒動という言葉は当てはまりませんよね。騒ぎ過ぎだ、という皮肉をこめていたのですが、いやいやこれ終わらないんじゃないの、そういう絶望を振りまいています。自粛したら一旦は減るかもしれないけどまた増えるだけでしょ、と。減っても増える減っても増えるを何度かやっているうちに、人々に楽観論は無くなっている中で、オリンピックが行われ人々のコロナ禍に対する集中力が削がれ、かなり多くの割合の人が新型コロナを避ける情熱が失われていったように思います。

日本は現在「第五波」と言われていますが、各国の波形を見ていると、こんなに波が多いのは日本独特だと思います。これは過去の緊急事態宣言が機能したからと言えます。他の国は爆発的に流行した状況に、ロックダウンとワクチンを使って沈静化した、という大きな山を一つ作っている場合がほとんどです。

おそらく日本人は本当に勤勉にこれまで対応した、だから小さい波を4つ作ったのですが、5つ目は不幸でした。デルタ株とオリンピックが同時にやってきたからです。4回の波をこなした国民には隙ができました。これまでも、「こんな対策をしておけば」大丈夫。そしてオリンピック報道に晒され、基本的に日本人の心には隙ができました。

ただ、これははっきりと認識をしておかなければいけないのは、もはや新型コロナを自粛で避け続けるのは、一生やり続ける必要があるということです。第十波でも第百波でも覚悟できるのであれば一生やればいいでしょう。しかし、これ、一生やり続けられますか?。それって、人生ですか?。生きていることになりますか?。この疑問、矛盾自体が今、第五波を避けられない状況を作り出しているのだと思います。

一方で、ワクチン接種が現在進められていますが、ワクチンは重症化を防ぎ症状を軽くすると言う効果が言われています。もう波を自粛でやり過ごすことが限界に来ていることを前提に言いますと、ワクチンを打ったうえで新型コロナにかかることを許容しなければいけない状況が近づいている、ということです。

もし、仮にロックダウンで国民に強制自粛をしたら、おそらくインドのように一度収まります。このシミュレーションは前回記事で行いました。しかし、これは第一波~第四波を収まらせたあの自粛行動を、国家権力にて強制的に行うだけです。以後、感染者数が増えるたびにロックダウンしていては国家運営も成り立ちません。使えるとすれば一度もしくは二度くらいだと思っています。もし使うとしても、それと引き換えに全国民にワクチンを行きわたらせた後は、新型コロナに感染すること自体を許容する時代を作らなければいけません。

ただし、ワクチンを打ったからと言って、マスクを外し完全に元の生活にいきなり戻すと、いくら軽症化するとはいえ急に感染者が増加し、医療資源をひっ迫させるかもしれません。ですから、マスクや手洗いなどはそのままに、徐々に正常に戻していくという強い意志が必要だと思います。これは政治判断の範疇になろうと思います。

日本国民は、新型コロナを国からなくそうとしているのでしょうか。それとも、いつかかかる病気と言う前提を置きどのようにつきあっていくかを考えていくのでしょうか。

前者は「ゼロコロナ」、後者は「ウィズコロナ」と言われ始めています。

そして、日本ではどちらにするかを決めかねているように見え、だんだんと国民自体の意見、行動がくっきり割れ始めたように思います。

この象徴的な出来事が、「パラリンピックには学生を観客として入れる」という判断と、「修学旅行は中止を」という二つの判断を、同じ自治体がしていることです。

特に昨今はSNSが発達したことで、日本の政治は国民の多数の意見を収集しそれを選択することを特徴としていると思います。政権与党は国民の多数を拾っている限りは、それを攻撃する野党がいつまでも不人気、そんな図式を民主党政権崩壊以来、作り出してきたように思います。

しかし現在、ゼロコロナとウィズコロナで真っ二つに国民は割れてしまった。だから、今の政府や地方自治体の政策に一貫性が見られないのだと思います。

ここまでに述べた通り、新型コロナの性質上、生活を取り戻すことと新型コロナの感染は非常に近いところにあります。そしてワクチンという希望がある。現実的にはアメリカやイギリスのように、ウィズコロナで決め打ちして進まないといけないときがやってくると私は思っています。

中国のように完全に統制力にて完全に封じ込める集中的な権力が存在すれば、ゼロコロナも可能かもしれませんが、そうすると、ウィズコロナの国との付き合い方が非常に難しくなるのではないかな、とも思います。

いろいろな意見が存在することが自由なのが民主主義です。しかし、どこかで政府は決めないといけません。おそらく国民がどこかで一つに意見を集約する必要があります。今、おそらく政府はその結論が出るをじっと見ていることでしょう。決めるのは、我々です。