orangeitems’s diary

クラウドで働くインフラエンジニアの日々の感想です(ほぼ毎日更新)。

言い訳に統計を使わないこと

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よく、平均年収は~とか、7割の人が~、とか社会一般の傾向が語られ、だから私はこうであり、社会が悪いのだ、というロジックを見ます。

これって、悪い思考の癖として、本当にやめることをお勧めします。

自分が満足ではないことが前提として、では満足ではない状態はどこから来ているのか、原因分析をするでしょう。最も良いのは、自分に原因を求めること。そして、自分の行動によって現状を変えようと努力すること。これらにおいて他人や環境は実は一切関係が無くなります。だって行動するのは自分ですから、やるかどうかは自分だけしか関係しません。

しかし、不満の理由を、社会一般、自分の外に求めたらどうなるでしょう。社会の在り方が間違っていて、私はその被害を受けている。そう、私は被害者なのだ。社会を変えるべく社会運動をしよう。そうだ、ネットにいっぱい社会の悪い点を書き主張しよう。つぶやこう。なんだかこういうアクションは現代においてどんどん一般的になってきているような気がするのですが、個人的にはエネルギーの無駄遣いと言わざるを得ません。

なぜなら、他人や環境の傾向にある一定の法則が見られるからといって、その通りにしなければいけない理由は何一つないからです。社会全体で守らなければいけないルールは憲法や法律、会社においては社則、学校では校則。そして、社会通念上守らなければいけない常識。いろんな前提知識はあるにせよ、それらを守ればあとは個人の自由です。自分がどうするか。その一点に絞れば、やらない理由を外に求めるのは、コントロールできないものを主体することになり、それは変化の確度がどんどん小さくなります。そりゃあ、社会が自分の思った方向に言ってくれて、政策が変わり、それに乗っかることができればよいですが、それをいつまで待っているというのか。

私自身は、学校から会社へ入る中で、何度もマジョリティーから外れ、人なんて傾向なんて関係ない、自分が正しいと考えるから、こう行動する、なんてことをするタイプでした。ただし、日本全体にはびこる同調圧力を感じるセンサーも強くて、行動したい意思と、悪目立ちする感覚との間で葛藤を感じることが何度もあったのを覚えています。ここ最近になってかなり折り合いがついてきて、もはや自分の正しい方向に行動することを制限することは何一つなくなったのと、「ああorangeitemsはこういう人なのね」ということが周知(笑)されてきたせいか、楽にはなりました。ただ、逆に言えば、変に合わせることができる能力が全くなかったために悪目立ちしようが合わせないで主体的に行動する自分、を受け入れるまで四十年くらいかかった感じはします。ネットにはいつも、「社会は・・だから私は被害者だ」というトーンはいつも目につくのですが、こういった経緯もあって、一切、言い訳に統計を使うことなんてほんと無駄だからやめればいいのに、自分の行動はものすごく自由だよ、と思います。

いや、行動すれば、必ず成功する、ということを言いたいのではありません。全てベストの行動をしたとしても失敗することはたくさんあります。でも成功することもあります。それでいいじゃないかと思うのです。何もしないよりも多くを学べるし、失敗の次は成功かもしれない。外部環境のことをぐちぐち言って自分を憐れむエネルギーがあるとしたら、全部行動にまわした方が時間の節約になるんじゃないかな、と思う次第です。