orangeitems’s diary

クラウドで働くインフラエンジニアの日々の感想です(ほぼ毎日更新)。

人に上も下もない

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会社員を長くやっていると、これは間違いなく錯覚に陥るなと思うときがあります。

年収が高いと思えるとき。元請の会社にいてたくさんのSESや派遣を管理し、自分が契約上、優位に立っているとき。肩書が立派なとき。所属している会社が有名であるとき。いろんな社会的役割を会社員は背負わされます。

その役割って、自分自身の価値なんでしょうか。

例えば辞めてしまったら、自分自身の価値は失われてしまうのでしょうか。

それとも、過去の栄光を自分自身の価値としてまとい、昔はこんなに偉かった、なんて態度で生きて行くのでしょうか。

私は、そういう社会的地位をまとって生きていることはカッコ悪い、と思っていていろんな運や成り行きが左右して為した実績と、自分自身は切り離すようにしています。

・・と思っていても、長い間、それこそ何十年も偉いとされる役割を演じてしまったらどうでしょう。もう永遠とも思える時間染まってしまったら、もしかしたら自分のアイデンティティーまで侵食してしまうかもしれない。

だからこそ、仕事以外の時間をきちんと持つべきだと思っています。過重労働がいけないのは、役割を背負わされる時間が長すぎて、自分そのもの、自由思考をする時間が無くなり、自分自体が役割と同化してしまうことが大きな原因だと思います。

例えば、あなたが王様だとして、朝起きてから夜寝るまで、王様であり続けなければいけないとしたら、きっと精神は病みますよ。だって、根っからの王様なんていないんです。あなたはあなたであり王様とは仮面、ペルソナです。でも周りからもそれを24時間王様であることを期待されてしまうとしたら、ペルソナ自体が自分を侵食し、自分は王様だと脳が誤解してしまうのです。

人は、演じることができます。でも演じ続けることはきっとできません。ある程度の心の余裕があり自覚がありコントロールができて初めて、社会的に期待される行動を取ることができるようになります。

 

ところが年齢が上になっていくと、どうもこの演じることによる経験が、アイデンティティーを侵食していくような気がしてならないのです。

偉そうなじいさんが、昔サラリーマンだったころ要職にいた、という話は良く聞きますし実際にお会いしたこともあります。

しかし私はそうはなりたくない。

自分は自分でありたいが、仕事におけるペルソナが私に影響を及ぼすのは、腹立たしい。

仕事ごときに、自分の個性を左右されたくない。

そのような指針を持った時に、SNSでの発言は結構面白いんです。

自分の会社名や職業、役割を明かしつつ、その影響をモロに受けた発言を見ると、私は反面教師にしています。

自分のブランドを説明するテキストが、職業や役割であるのは私はイヤなんです。それは多分、ペルソナの言葉で、自分じゃない。

そういえば、この前外出するときにスマートフォンを忘れたんです。皆さまも一度やってみたら面白いかもしれません。どこにも連絡が取れないし自分にも誰も連絡ができない。そもそも時計も持っていないので時間もわからない。そういえば連絡手段って何だろう。メール?、しかしメールを打つ端末がない。電話?、電話番号はかろうじて自宅の電話番号だけはおぼえていました。この状況をつぶやくTwitterもない。LINEもない。

スマートフォンを持たないで外に出て過ごすと、自分自身がいかに社会とつながり続けていてそれによって自分が成り立っているかということを痛感しました。自分だけであること。自分そのもの。アイデンティティーがあるというだけを考えると、人に上も下もないのです。

自分が自分であることについての大事さと、努力しないと自分自身がペルソナに侵食されちゃうぞ、というお話でした。