orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

ありのままに生きていくしかない、という前提

 

生きていくのは大変な作業だと思う。そう思っていない人は気づいていないだけ。基本的に生きているだけで褒められるべきだ。よく今日生きていますね、という評価はすこぶる正しい。

生きるというのは社会性と対だと思う。人間ってなかなか一人きりでは生きられない。社会で独立して個人事業主になったとしても顧客は必ず居て、そのやりとりがあるからこそ収入が生まれる。どんなに間接的だといっても何かしらの繋がりが成立していないとお金は回ってこないようにできている。お金がないとご飯も食べられず家も光熱費も払えない。

全部の社会性を否定したとしても、今度は生活保護を受けようとしたら受けるための手続きや、行政との繋がりは必須となる。親にぶらさがるとしても、今度は親との関係。そもそも食べるご飯も誰かが作ったものだし。色々な面で、独りでは生きられないことが証明されていく。

人は、社会の中で生かされていて、他人が自分を認識することで自分の存在が定義でき、何者であるかが決まるという特性があるように思う。私はITインフラエンジニアだけど、私がそれを証明するより、会社が、同僚が、取引先がorangeitemsはITインフラエンジニアだと認めていることのほうが強い。絶えず仕事を通じてその実力を発信し続けることがその評価を堅くする。そうやって、社会の中の自分を確立していく。

どうしても自分自身と社会が切り離し不可能であるので、できるだけ社会に対して自分をよく見せたいという欲が出る。きっと、これに気が付き出すのは小学生高学年のころ、いわゆる思春期のころだ。それまでは生まれてからの万能感のもとにのほほんと生きてきた子どもたちがこの頃に、あ、社会でどう見られるかが自分を定義するんだと気が付き、装飾をし出す。

芸術分野で子供のほうが大人よりもピュアな作品を作りがちなのもそういう理由がある。子供はただただ自分への信頼とともに作品を作るのに対して、大人になるに従い、どうすれば良く見られるかということを気にしだす。つまり、自分自身とは本質的に何か、より、自分自身がどう見られるか、ペルソナ(仮面)を磨き出すのだ。

したがって、大人になると、例えば就職活動でよく見られるが、「より良い平均的な人物」を皆目指そうとする。優等生である。ただ、それはペルソナであって本質ではないのは明らか。だって人間って、もっとだらしなくて、独りよがりで、めちゃくちゃな生き物でしょう?。みんなニュースを見て、「愚かな人がいるな」と思うんだけど、そうじゃなくて、人間が愚かなんだ。それを受け入れてかつ、自分をコントロールして愚かさが表に出ないようにしなければいけない。そういう宿命を持って人は生きている。

ペルソナによって自分の本質を消すのではなく、ペルソナを持ちつつも自分の本質を見失ってはならず、むしろ本質自体が成長して本質で勝負できるようになるように努力する、ということが必要だ。

なんて、生きるって大変なんだろう、と思う。そしてその入口にすら立たず、今日もSNSで虚飾たっぷりの投稿を続ける人たちがいて、まあそうじゃないよね、と思っている。でも彼らもそれでも生きていかなきゃいけない。

とは言え人生、どうやって生きてもいいという前提がある。自由にやればいいが、やっぱり大変なのは間違いない。本質を無にしてペルソナで生きるのは地獄だし、本質と向かい合って愚かな自分を何とか成長させていくのも、それも大変な作業だ(だから、ペルソナにこだわる人は、あんなに自己肯定感がぐらついているのだ)。

毎朝思う。いろいろ苦労はするが、結局ありのままに生きていくしかないんだよな、この世の中は、と。私の中身も愚かに違いないが、少しでも賢くなるために今日を生きていきたいな、と思う。