テレワークを春先に随分長くやって、それから一度オフィスに戻った上で、またコロナが流行してきたのでテレワークに戻って来たのですが、春先に比べると随分うまくやっている気がしています。
相当過去はうまく行かなかったのでもうテレワークなんかやらないもんね、と思っていたのですが世の中の状況が悪くなるとそうも言っていられません。必要不可欠なテレワークなのであれば、せめて、楽しくあろう、快適であろうというする努力をする必要があります。
何がうまくいっているのだろう、と思い返してみました。
(1)WEB会議をつなぎっぱなし/音声シェア/ビデオオフ
春先のWEB会議は、用事があったらつなぐという方法でした。コミュニケーションの基本をチャットベースにしていました。
チャットで会話していると文字で残るのでスマートな会話はできるのですが、コミュニケーションで重要な非言語的な部分が抜け落ちている感覚がありました。これが積もり積もってコミュニケーションロスが生まれていった感覚がありました。
今やっているのは、あらかじめWEB会議のURLを決めておいて、必要なタイミングで必要な人が参加するというものです。そしてビデオについては打ち合わせだけ利用し、作業中については音声だけをシェアするようにしました。
仕事のコミュニケーションって、実は相手の顔をまじまじと見ては行ってないんですよね。むしろ画面を見て仕事をすることが多い。であれば作業者の画面を共有して、音声は参加者が自由に話せるという状態で仕事をすることが多くなりました。
音声だけ聞いていると面白くて、「ああ」「えーっと」「うーん」など、いろいろチャットでは省略されるような言葉が散りばめられています。参加者にライブ感が生まれモチベーションが上がる効果がありそうです。
逆にビデオは、ビデオの方を見なければいけなくなるので逆に作業の邪魔になる気がしていますね。音声だけシェア、良いです。
ちなみにチャットは使わなくなったわけではなく、文字列の受け渡しに重宝しています。声で文字列を人に伝えるのは大変ですからね。
(2)朝/昼のウォーキング
朝起きてから、そして昼休みにウォーキングをしています。
1回1.2キロ&15分くらいで些細なものですが、積み重ねれば一週間に12キロくらい歩いています。なかなかの距離です。
ずっとテレワークをしていると、気づくと家から一歩も出ずに一週間過ぎたということも春先にありました。だんだん家の中に閉じこもっている時間が長くなると発想がどんどん狭くなっていきます。これは体のしくみとも関係があると思うのですが、ウォーキングによって全身に血が回るようになるとこの思考の柔軟さを取り戻すことができることがわかりました。
また、外の景色を見て、デジタル機器から少しでも切り離されることで、通勤時に行っていたような頭の中で思考をめぐらすことができるようになります。どうしても自宅ではデジタル機器が絶えず情報を発しているのでインプット中毒になりがちなのではないか、と思われます。
これは通勤の機能を代替しているような気がします。
(3)仕事が多いこと
春夏は仕事の出足がバタっと止まったため、テレワークをしていても既存案件の運用保守まわりばかり、でした。
仕事が少ないと、どんなにWEB会議やチャットなどを駆使しても、手が余るので時間が過ぎていきません。
今は、かなりの仕事を手元に抱えていて、業務時間はほぼWEB会議にオンラインの状態です。
仕事が次々とある状態において、環境的には自宅でありかつ春先と違って、パソコンや部屋の環境もしっかりしていますから、集中力が増します。運動していることもあり頭も回るので、テレワークで「仕事をしていて効率がいいと思えるくらいの感覚」を得ることがはじめてできました。
つまり、
①音声をシェアしてオフィスの環境に近づける(ビデオ不要)
②適度な運動で通勤をシミュレーション
③仕事を確保しToDoを確保する
この3つがテレワークを快適にするためには重要でした。
とは言え、どこぞの企業のように永久テレワーク宣言するつもりはさらさらないのですが、やらなければいけないときはあると思います。
春については突然のことだったし、受け入れることが難しいほどうまくいかないテレワークだったのですが、細かい工夫を重ねて実用性を感じるレベルまで来た実感です。
もしかしたら、オフィスにもどったり、テレワークを復活させたりとしていったら、初めに体験したテレワークは原始的なもので、だんだん研ぎ澄まされていく感がしてなりません。
次の課題としては、新しい人が参加したときにどうするか、です。テレワーク下で新しい人間関係を形成することが可能なのかどうか。また信頼関係を育むことができるのか。近々そんなイベントも起きそうなので、試行錯誤はこれからも続きます。