話題になっている下記記事を読みましたので感想です。
書いてあることには全て同意で、全て現実に沿っていると思っていますので、いきなり話題から逸れます。
全ての人々が、ここに書かれていることを全員がやったらどうなるでしょうか。全員勝者になれるかというと、現実は厳しくて、結局勝者と敗者に別れてしまうと思います。また、そんなにはっきりした区別ではなく、すごく勝った人、ちょっと勝った人、ちょっと負けた人、かなり負けた人、みたいなグラデーションのような立ち位置となるでしょう。業界によってほとんど負け組みたいな世界もあれば、サラリーマンのようにちょっと負け組が大量にいる世界もあります。
どこにいっても競争なので、できるだけ勝てるように皆勉強してますし、成功者の記事を読んで参考にして少しでも上に行こうとします。
もしくは、その業界にいても勝負にならないので、別の世界に行こう、行くならどんな場所に行くべきか、などを検討するでしょう。
結局、努力するにしたって、努力のかいがないぐらい非効率だと、勝てるわけはないということですね。一時間努力して100ポイント取れる人もいれば、5ポイントしか取れない人もいる。初めのうちはポイントが取れるけど、そこから上は取りにくくなる、みたいなことも起こります。レベル上限のようなもので、入門から中級者くらいまではサクセク成長するけど、ある一定のラインからは成長することができるかどうかは人や環境によって差が出ます。
だから、ミドルやシニア層は、「もう成長上限を向かえていてこれ以上会社においておいても成長しないから、給与だけ高くて会社のお荷物だ」「これからはジョブ型。成果の分だけ報酬を与える」なんて評価を受けちまうんでしょうね。
さて、こんなルールの世の中で、結局ですね、天才なんて言われる人は2種類いるのだと思います。
①生まれつきレベル100
②レベル上限がレベル100で、あとは努力の積み重ねでレベル100近くまでたどり着いた
つんく♂さんは、凡才と自身を表現しているけれど、私は②に近いと思っています。本当の凡才は、レベル上限がレベル100じゃなくもっと低いです。
で、好きだと何がいいかって、努力することに対して快感が伴うことです。それは続ける能力にもつながり、努力そのものが人生になるでしょう。
一方で、向いていると何がいいかって、普通に努力しても人より効率が良くなります。あんまり努力した覚えがないのに、他人からは褒められる。他人の努力と競争するときにアドバンテージを持ちますから、人生において向いていることを選ぶのは、一つの必勝法だと思われます。
一方で、好きだろうが向いていようが、レベル上限が一定レベルで止まってしまう。ここからが天才と凡才を分ける最大のポイントになると思います。これまでの考察のように、向いていること・好きでいること、かつレベル上限の問題が融合して、その後の天才が生まれると思います。
だいたいどんな「天才」と評される人にインタビューしても、「①生まれつきレベル100」って他人が言っているだけで、本人は血のにじむ努力を実はしていて、努力なしで能力があると言われるのは許せない、って何度も聞いたことがあります。ほとんどが「②レベル上限がレベル100で、あとは努力の積み重ねでレベル100近くまでたどり着いた」なんだろうと。それに対して、好きや向き不向きが勘案して、天才が出来上がるんだろうと思います。
さて、最後に、どんな世界を選べば良いか、ということです。
最近は、YouTuberやらSNSやらで、大衆に目立つことばかりが取りざたされていますが、そんなフロントの世界ばかりではなく、社会には裏方と呼ばれる世界も存在します。
例えば、今読んでいただいているこの記事ですが、はてなブログ上で運用されています。はてなブログはAWS上で動いていて、そのサーバーを運用している人がいます。AWSにもそのサーバーを運用している人がいます。通信はインターネット回線やキャリアの通信網を通って読み手に届きますが、そのPCやスマートフォンにも設計した人、作った人がいます。
そうやって、いろんな人が裏方として動いて、この世界は成り立っていると考えると、世界なんていくらでもあります。
残念なことに、フロントの世界とか、有名な大企業とか、芸能界とか、そういう場所ばかりが世界であり、裏方は勝負しても面白みがないと判断する人は意外と多いです。
いやいや、どの世界にも勝者がいて敗者がいて、すごく勝っている人は勝っています。そこに天才と言われる人が必ずいます。
目立つ場所ばかりを舞台と思わず、視野を広く見て、自分が天才と呼ばれる場所を見つけていけば、必ず自分に与えられたタレントを活かせる場所が見つかるんじゃないか、そう思います。
誰しも天才と呼ばれる可能性を持っている、と思いますよ。