orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

若者の静かな反乱

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最近の感染者数のうち三十代以下の割合が急増していると聞いています。

 

news.yahoo.co.jp

感染者131人のうち30代以下の人たちが8割を占めました。また、62人は夜の繁華街で接待を伴う飲食店の従業員や客でした。

 

夜の街関連、と括られることが多いのですが、私はこの年代の若さのほうがよっぽど意味のある情報であると感じます。

新型コロナウイルスは、高齢者、特に基礎疾患がある人には、生命に重大な危険をもたらす病気であることがわかっています。一方で、若者に関しては、無症状者や軽症者が圧倒的に多いことが知られています。

この状況で、若者が、感染を避けるメリットは何が残るでしょうか。

若者が本来得られるはずだった楽しい体験を、感染拡大を防ぐために我慢するメリットは何でしょうか。

同居する家族が高齢者や基礎疾患のある人であれば、家族で移さないために慎重に行動するのはわかります。しかし、それは全員にあてはまることではありません。

あたかも、誰かもしらない他人(高齢者)のために自分が犠牲になっているような感覚に陥ってしまうのではないでしょうか。

そんなにリスクがあるのなら、高齢者こそZoomの中に閉じこもっておけばいい。そのポスト変わってくれ。若者だけで社会をまわす。

若者もずっと若者なわけじゃない。有限だからこそ、今、遊びたい。楽しみたい。

そんな図式に見えて来たのです。

-若者だけはもう、先に社会に戻して、普通の生活をする。

-高齢者は、高齢者で独自に対策をしてくれ。何なら、外を出歩くな。

若者が全てこういう極端な考え方をしているとは言わないものの、そういう考え方が主流となっている人々が存在しているのではないでしょうか。

特に、そういう人々は、高齢者が日本の富を独占し、若者はそれにこき使われているだけという被害者意識もあると思います。日本だけではなく外国も同じようなものですが、高齢者に富が偏っているというのは有名な話です。

若者が、いったい自分は誰のために我慢しているのか。そして我慢したら何かメリットがありそれは享受できるのか。デメリットばかりでいいことなど一つもないのではないか。

社会に対して歯向かう力はないのは自覚しているけれど、でも、もうコロナ対策に協力しないことで、静かに反乱ができるのではないか。

そんな思想を、今の結果から感じるのです。

この記事を書いていて、7分前に投稿された文春オンラインの記事を見つけました。

 

bunshun.jp

〈グローバリズムの恩恵を最も受けてきたのは、現在の高齢者、戦後のベビーブーマーの世代で、最も犠牲を被ったのは、「先進国の若い世代」です。あくまで冗談めいた比喩ですが、死者が高齢者に集中しているのは、あたかも「グローバル化のなかで優遇されてきた高齢者を裁くために、神がウイルスを送り込んだ」と見えなくもありません。

 ただその一方で、高齢者たちが、依然、力関係で優位にあることも示されました。全人口にロックダウンを強制して、低リスクの「若者」と「現役世代」に犠牲を強いることで、高リスクの「高齢者」の命を守ったからです。もちろん、「老人を敬う」のは、健全な社会の証なのですが〉

 

まさにこれまで書いた内容が凝縮された文脈です。

もう一本記事を紹介します。

 

bunshun.jp

「子供はかかりにくいというから大丈夫じゃないですか。お年寄りは……わかんないですけど、でもインフルエンザで亡くなる人とどっちが多いとかいうじゃないですか。僕らも店をやらなきゃ食えなくなって死ぬことになるわけですから。やっぱ従業員を食わせていく責任があるんで」

 

一部の若者たちが静かに反乱を起こしているような、そんな空気をひしひしと感じます。春のような対策は、そろそろ無意味に返るような状況になってきているのではないでしょうか。経済的にも、心理的にも。どんどん行政の言うことをきかなくなっていくのではないか、と。