orangeitems’s diary

クラウドで働くインフラエンジニアの日々の感想です(ほぼ毎日更新)。

日本に起こっている分断のかたち

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コロナ禍の当初は、コミュニケーション不足が起こることは間違いなかったので、分断が起こるとは思っていました。ただその分断の起こり方が私の想像していたものとは違うものでした。当初は、世代間の分断が起こるとばかり思っていたのです。だって、高齢者には優遇してワクチンが配られ、そして若者は最後。そのため若者が感染を広げる図式になり、高齢者からは若者よ早くワクチン打ってと煽られる始末。これは世代の間で争いが起こるとばかり思うじゃないですか。

ところが、ふたを開けてみると違うことがわかりました。同じ世代であっても、違う意見が混在している。若者世代でも自粛派もいれば、いやいや、そもそも政府が何を言ってるかなんて聞いてもいない。コロナに関する情報はむしろブロックし、とりあえず空気を読んでマスクするぐらい。自粛?要請?自分には関係がない、という層。これが同じ世代の中に混在しています。

当然、世代ごとにその割合は異なっているとは思うのですが、実態が全然わかりません。ここしばらくテレワーク onlyで外に出ていないので今の状況がよくわからないのですが、数週間前の記憶では、明らかに自分と同じ世代の人がマスクがない、なんてケースも遭遇しています。年代が上であれば自粛派が多いかと言えばそうは言い切れないかもな、という実感があります。どの世代でも、自粛派 vs 無視派、という分断が起こっているように見えます。

これは、若者世代から高齢者までを下から上に見上げた時「横の分断」と思っていたのですが、実際は「縦の分断」なのかもしれません。

同じ階でも、大きく割れる二つの意見が混在している。

そして同じ意見を持つ同士が固まって生活している。

どの階にも、分断が生じているので、上から下まで亀裂が走っているように見えるのです。縦の分断という所以です。

社会的にも縦の分断が与える影響は大きく、最近のわかりやすいところで言えばパラリンピックです。子供を観客として入れるという話がありましたよね。その上で、子供が観戦しないよう夏休みを伸ばすだの修学旅行は中止にするだので、いったい何をやりたいんだと思った人は多いのではないでしょうか。これは都知事という役割は自分で何でも決済できるのではなく、分断した状態のままメッセンジャーとして表現しただけに過ぎないと思っています。自粛派である一派からも意見を聞かないといけないし、無視派の一派からも意見を聞かないといけない。分断が生じてしまっているものに対して、いくら都知事と言う立場であっても一喝することはできないので、それぞれの意見を通そうとした結果であろうと思います。

去年はGo Toキャンペーンなんてものもありましたが、結果、感染拡大し大失敗となりました。その後緊急事態宣言を出しなおす始末で、結局なにがやりたかったの、と。これも縦の分断です。それぞれがコミュニケーションをしないまま、それぞれの主張を実現しようとするとそうなるのです。

テレビを見ても二面性を感じませんか?。コロナ感染の拡大や現場の状況が混とんとしているニュースを流した後に、バラエティーなどで自粛とは反対のアクティビティーを流す。テレビの出演者はマスクをしていないし、大丈夫かなと思っていたら連日芸能人が感染の報道。

明らかに縦に分断が起きていて、そして、互いにコミュニケーションをしないまま、相手を無視している状態が今の現状ではないか、と。同じ音楽フェスでも他方では開催し、他方では中止。

これは、SNSの影響も色濃いと思っていて、自分の意見と近しい人以外は切り離されることが自然と起こるので、自分の意見が世間において多数だと勘違いする現象がおきやすくなっているのではないか、と思っています。

政府の自粛派の人は国民に強いメッセージを、とは言いますが、どうにもこの分断を生み出す仕組みにおいては、お互いのメッセージを「ブロック」「ミュート」してしまう現象を感じています。聞こえなきゃ快適ですからね。それがテクノロジーにおいて可能になってしまった。テレビだったらコロナのニュースをやっている間は別のチャンネルに変えてしまう。

一方、どちらの派にもワクチンは好意的に受け入れられているようで、国民の接種はどんどん進んでいます。ただワクチンを打った後についてはまた分断が起きている気がしています。打ったら無敵だと思っている人もいそうな気がしていて。明らかに間違っているのに、間違った人と間違った人が一致してしまったら、それはその場所では、正しいことになってしまう世の中なのかもしれない。

どんなに、今自粛しなきゃいけないよ、なんて叫んでも。相手に声が届かないんだな、と高止まりする日々の感染者数を見ながら、ため息です。