マラソン大会やるの?
日本はコロナウイルスのこんな警戒時期にマラソン大会やるんだ!?って言う中国人の気持ちわかります。
新型コロナウイルスの感染が広まる中、中国のSNSでは、週末に日本各地でマラソン大会が開催されたことが注目を集めました。武漢での経験から、「日本はこのままだったら、やばい」といった声も出ています。3月1日開催の東京マラソンでは、一般参加の中止が発表されたばかり。中国のSNSでは、日本の危機管理がどのように見えているのでしょうか。
私も、中止するべきだと思うのですが、意外と今現在でも都内で展示会や集会が開かれ続けられていることをキャッチしています。
これには日本人独特の感覚があるのです。
二年前に見た光景
おととしの夏でした。
記録的な猛暑で熱中症で倒れる人が続出しました。
3連休中日の15日、日本列島は東北から九州にかけて高気圧に覆われて気温が上がり、35度以上の猛暑日になる地域が相次いだ。共同通信の集計では熱中症とみられる症状で救急搬送された人は全国で2061人に上った。滋賀、佐賀各県でそれぞれ1人が死亡。東日本や西日本の厳しい暑さは16日以降も22日ごろまで続き、気象庁は引き続き熱中症予防を呼び掛けている。
ちょうどこの時期に、私は住んでいる地域の自治会役員になっていて、夏は一大イベントである地元の夏祭りへの準備や参加が仕事となっていました。
で、いよいよその夏祭りが近づき、その直前の役員集会は中止についての議論がされるのかと思って席に座りました。
結果・・
中止の声なんて一言もでない。注意してやらなければいけないですよね、の声しかない。
夏祭りを楽しみにしている(だろう)人々の期待を裏切るわけにはいかない。
十数年続いている催しを、自分たちが役員をやっている代だけ、中止にするなんてできない。
中止と言い出したら、言った人が責められるかもしれない。
・・・なんて、言葉にして言う人はいないんですが、しかし状況はこの通りです。いかに無事にやるかしか眼中にない。前提が大きく間違っているんですね。実施するとしていかに無事に終わらせるか。実施するとして・・。そこから議論が始まってしまう。
決行、という恐ろしい言葉
日本には、決行、という言葉があります。
辞書的な意味だと「思い切って行うこと」だそうです。
思いを、切る。
これこそが日本人のマインドそのものだと考えます。
なんだか、やると決めたらやるのが美徳なんです。絶対そう。
この「思い」自体を「迷い」と解釈している面が日本にあるのです。決して中止にならないという文化を助長していると思います。
そしてこの「思い」を凌駕する一つの出来事がありました。
宮内庁は17日、23日の天皇誕生日に皇居で予定していた一般参賀を中止すると発表した。新型コロナウイルスの感染が広がりつつある中、感染拡大を防ぐ必要があると判断したという。皇居内での記帳の受け付けも取りやめる。同庁によると、天皇誕生日の一般参賀の中止は、ペルーの日本大使公邸人質事件に配慮した1996年以来。
日本人は権力に対して従順な性質があり、天皇がこのように判断されるなら、ということで2/17を境にいくつかの判断が五月雨にされました。
東京マラソン財団は17日、新型コロナウイルスによる肺炎の感染拡大を考慮し、3月1日に開催予定だった今年の大会の一般参加を全面的に中止すると発表した。2007年に始まった東京マラソンで初めてとなる。
新型コロナウイルスの感染拡大を受け、大阪府は18日、対策本部会議を開き、2月20日から3月20日までに予定している府主催のイベントの原則中止や延期を決めた。対象は不特定多数の参加するイベントなどで、詳細は19日にも公表する。18日午前までに確認された府内の感染者は1人だが、吉村洋文知事は「感染力が強い。急激な感染拡大を抑えたい」と説明した。
その他、民間でもNTTがテレワークを推奨したり、いろいろな事柄が中止に向けて動き始めました。ただ、まだ裾野には広がっておらず、ちらほら、と言った様子です。
日本はこんな国、だと思います。
お上が止めてくれと言うまで、やりきるしかない。中止は無い。中止に対しての思いは、迷いである。迷いは断ち切りやるために頭を使おう。
このロジックがいい意味でまわっているときは、非常事態にたくさんの行動力を生み、いろんな大事を乗り切るパワーが日本人にはあると思います。しかし、悪い意味になったときは、「ええ?やめないの?なんで?」と外国人に思われてしまう。そんな現象が今まさに日本全体で執り行われようとしている中、天皇家が一番先に動いてくださってよかったなぁと思っているところです。
さて、私自身はそんな日本を嫌いではないですが、でも今回は明らかに非常事態。
頭を使って乗り切るしかないです。