orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

もっと自由に

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成功体験のワナ

人間と言うものは年を重ねるごとに経験をしていく。成功もあれば失敗もあるのだけれど、知識を得るごとに失敗はしにくくなると思う。成功するかといえばそうとは限らないけれど、たくさんのリスクポイントを経験上することにより成功しなくても大きな失敗とはならないように振る舞うようになる。

成功体験がたくさんあると、こうすればうまくいく、というような知識がついてくる。初めは勢いでやっていたこともだんだんワークフローのようなものができていく。それはルーティーンとも呼ばれいいことなのかもしれないが、実はこの成功体験はじわじわと自分の自由を奪っていく。もちろん法律や決まり事は守らなければいけないのだけれど、手段なんて本来はどの道をたどってもよいはず。自分が責任を取れるのならば。しかし、気が付くと成功体験から得られたノウハウのようなものを無意識に優先してしまう。それが年を重ねるごとに増大していき成功体験間でつじつまが合わなくなりどうにもうまくいかなくなる。むしろ成功体験が行動や思考を限定し過ぎて、実は自由なのにがんじがらめになって何もできることがなくなる、そんな瞬間に気づかされる。

 

このブログも

このブログも解説して20カ月ほど経ちいろいろな経験をしてきたのだけれども、それこそ経験の積み重ねだ。こうやれば読まれやすい。読者はこんな記事を望んでいる。ですます調で書いた方が炎上しない。うまくメディア記事を引用すると説得力が出る。そんなこんなでいろいろとノウハウは溜まってきたのだけれど、気づけばこのブログに書くことが大きく限定されてきた。もちろん自分の好きなことを書いてきたつもりだ。IT、RPA、AI、労働問題などなど。しかし気づけばこの話題でないと書いてはいけない。この切り口では弱い。1500字以上はないといけない。このタイミングで何か出すべきだ。タイトルはもっとキャッチーでないといけない。などなどどうも不自由になっている。

誰かに指示されたわけでもないのにも関わらず、である。制約が多すぎて記事を書きにくくなってしまっていることにハッと気が付いてしまった。

俯瞰的にこのからくりを考えるとそうとうバカバカしい。自分で自分に制約をかけて勝手に不自由になって苦しんでいるのだ。第三者的に考えてアイツ何やってるんだという話でもある。

ということでこのエントリーについては、相当制約を外して文章を書いている。制約がないからこそどんどん書き進められている。結局私は自由だったのだと思う。

 

生きることも

私自身は人から型破りで自由だと思われることも多いのは自負しているのだけれども、それは型破りで自由な行動に成功体験が多かったためそうしかできないということの裏返しでもある。若いころは周りに合わせようとしたけれどもちっともうまくいかず苦しむばかりで、ああ全然自分は同調できる能力がないのだな。そう思って周りに合わせることを一切あきらめてからはいろんなことがうまく廻り始めた。それはそれで良いと思うのだが、「人から見て型破りで自由でなければいけない」と考え出すとどうか。これも成功体験のワナ。自由でなければいけない、と言う言葉自体が矛盾をはらんでいる。

年を重ねるごとに不自由になっていったのだな、と。

暑い夏がそろそろ終わりを迎えそうな様子だが、ここ最近、この不自由さが限界に来てしまいとてもバカらしくなってしまって、ここからの自分の生きることは自由にやってやろうと思いなおしたところが現在地だ。

ここまで書いて思うのが、このブログがきっちり1500字で終わりそうなことである。人間なかなか変われないな。でも心がける。