orangeitems’s diary

クラウドではたらくエンジニアの日々の感想です。

大学4年間で学べること

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大学4年の価値を探る

AppleやGoogleで働くのに大学卒の学歴はいらないという記事ですが。

 

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私の場合大学時代は20年前にもさかのぼります。長い人生の中でたった4年間ですのでその期間のある/なしで、全てを肯定したり否定するのはそれは間違っていると思います。ただ、あの時期しかできなかったこと/あの時期だからこそできたこと、というのは存在していて、それを記録しておこうと思います。

今、大学生の人であったり、目指している高校生の参考になれば幸いです。

 

あの時期しかできなかったこと

私は大学の間、あまり学校の勉強は最低限しかしなかったです。最近の大学でそれが許されるのかはわかりませんが、何しろ卒業するための最低限の準備しかしなかったなあという感想です。もちろん医者や弁護士、仕業の資格などを身に着けるために勉強に打ち込むのも正しいです。私の場合はそうではなかっただけです。

では、教科書的な勉強は最低限だからといって、ほかに何もしなかったかというと全くそんなことはなく、有り余る時間の中でサークル活動に参加したり、アルバイトをしたり、知り合った大学生と何時間も話し込んだり、いろんな経験をしました。今となってはそちらのほうが私にとって財産となっています。

思えば、大学生とは、「社会人でもない、無職でもない、それでいて大人」という不思議な時間帯でした。最近だと成人とみなされる年齢が18歳に引き下げられたということで明らかに「大人」としての性格が強くなっています。大人なのに仕事をしていない、時間があまりある、というのは社会人になったらあり得ません。

心理学の言葉では「モラトリアム(猶予期間)」と呼んでいるようですが、私にとってもモラトリアムである大学時代において、社会とはどんなものなのか、これから生きていくことをどのような形にするのか、4年間で多くのことを学べたと思います。お金はないけれど時間はあるという状態は、「ではお金があったら何をするのだろう/したいのだろう」ということを必死に考えさせてくれる時間でした。

社会人になると、周りの社員や取引先などの関係はかなり「記号化」されます。あくまでの利益追求の中でウィンウィンの前提で付き合う関係なので、利益が背反すれば簡単に会えなくなります。懇意にしてきた取引先の契約が終了したら、あんなに親しかったのに会う機会もなくなるというのは社会人となれば日常茶飯事です。大学においては、利益とあまり関係のない世界なので、興味があれば近づきますし利害関係なくつきあったりしていろんな会話をすることができました。そんな多くの機会の中で自分の価値観を作っていくことができた大学時代でした。もし、いきなり社会に出てしまったとしたら、価値観の形成なくいきなりビジネス上の関係性しかなくなるため、そこはその後の数十年の社会人生活に大きな差を産んだだろうなという感想です。

それぐらい、大学時代に学んだ価値観というのは、二十年経った今でも大きな自分の中の軸として存在しています。

 

あの時期だからこそできたこと

もっと具体的に書いていきます。あの時期だからこそできたこと。

 

パチスロ屋に入り浸ること

社会人になってまったくやらなくなったことです。暇を持て余しパチスロ屋に毎日のように入り浸っていたことがあります。儲かるどころか借金までこさえたのですが、ほんと、大学生という肩書がなければ社会的にまっとうではなかったと思います。現金がなくなり消費者金融のATMからお金をおろすところまでやりましたから、正直いってやってることがアホだと思いますが、社会人後にアホを語るときに、自分がアホだった場合説得力を増します。アホのダメなところを生々しく語れるので、リスクマネジメントが人より上手になりました・・。

社会人になったら通う時間自体がなくなったのもあり、入り浸る習慣自体が消失しました。あのときしかできない「アホ」。それは宝物でもあります。

 

住民票が消失したこと

これはですね。大学時代引っ越しを3回やったのですが、住民票を移す作業をしなかったことがあるんですね。で、社会人になるにあたって住民票を取らなきゃいけないということで、恐る恐る役所に行ってみたら住所不定状態になっていてビビりました。多分私が引っ越した後に引っ越してきた人が住民票を移したら、住所が重複しているということで私の住所が無効になったんだと思います。

後から役所と話をして正常化しましたが、「きちんと日本国民としてあるべき手続きをしないと権利が消失する」という経験をしました。社会人になってからはあり得ない話だと思いますが、こんな経験をしたこと自体はこれも財産・・。

 

徹夜で語り合う

上2つはちょっとヒンシュクな話なので、ちょっとポジティブな話を。何度も徹夜でだれかと語り合う経験ができました。大学生というのは今後どうなるかわからないという身分なので、これからどうするかというのは誰にとっても大きな話題でした。自分や他人のことを大きく掘り下げて話をはずませるというのは、なかなか社会人時代にはありません。時間だけはあるので、この時間を使っていろんな人と話ができたのは今となっては素晴らしき経験でした。

 

そんなに大学は何もしてくれないことを知る

大学のカリキュラムは、勉強をすごくしたい人に対して援助をするぐらいのスタンスであって、高校までのようにがむしゃらに勉強しないとついていけないような内容ではありませんでした。このあとの社会人生活にも通じるのですが、自分で何を勉強するかテーマを決めて自分で身に着けようとしない限り誰も「勉強しろ」とは言ってくれません。

ああ、もう社会が道を作ってくれることはないんだなー、という思いを強くし、特に社会人になってから逆に勉強するようになりました。今の大学は少し変わっているかもしれません。もっと大学生にいろんな課題を与えて勉強するように差し向けているのかもしれません。そうすると「自分で勉強しよう」という境地にはたどり着けないのかもしれないのでいいところも悪いところもあるような気がします。

 

まとめ

ということで、自分の大学生活なんてろくでもなかったなあと思いつつ、ろくでもないことを体験できたことはあの時だからこそだよな、という感想を抱いています。あのモラトリアムがあるからこそ社会人になってイノベーションを生み出す「のびしろ」が生まれたのであり、少なくとも私にとってはあの大学生活は有意義であったと言えます(ただ、あまりにもやらかして、法律を破ったり人に迷惑をかけることは、全くお勧めしませんが)。

Appleや、Googleが、上記の大学生活で与えられるような「余暇」を若い時代に与えてくれる余裕があるから成り立つのであって、普通の日本の会社では成り立たないかなという感想を持ちました。

全く個人的な体験から出てきた感想なのですが、まとめたのは初めてなので今回の記事は自分にとってもよい振り返りとなりました。

 

大学とは何か (岩波新書)