orangeitems’s diary

クラウドではたらくエンジニアの日々の感想です。

311の日の記憶と東京

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東日本大震災からもう6年が経とうとしている。私はそのとき、東京のあるオフィスビルの10階でお客様と商談をしていた。2分ぐらいだろうか、ぐわんぐわん揺れが続いてまるで船が大波に飲まれた時のような状態だったのを覚えている。机が踊り出し、立っている人は座り込んで、まさに何にもできなかった。ビルの上の方だったということもあり、横揺れが増幅したのもあるんだろうと思う。

それが終わったあと、オフィスの窓の向こうのほうで黒煙が上がっていた。とりあえず商談を続けていたのだが数十分後に悲鳴が上がった。テレビを見ていたその会社の人の声だ。その映像を見てみると様子がおかしい。現実とは思えないような映像が目に飛び込んできた。とりあえず、お客様とは商談を打ち切りにして、帰宅しましょうという話をしてビルから外に出た。

ビルの前は片側3車線の大きな道路だったが、車は一台も走っていなかった。その代わり歩道にたくさんの人が歩いていた。地下鉄に向かうとなんと入り口にシャッターがかかっていた。よく見ると終日運転見合わせの文字。普通は改札までは行けるものだがなんと階段すら閉鎖。これでは帰れないではないか。

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とにかく家までは着こう。会社にドコモの携帯電話で連絡しようとするが全く通じない。そもそもツーツーツーという音はするがすぐに電波の届かない状態・・と言われてしまう。この携帯電話が通じない状態というのはこの日ずっと続いたと思う。一方で、その当時イーモバイル(今のワイモバイル)のモバイルルーターを持っていたのだがこちらは通じたのを記録しておきたい。モバイルルーター経由で自社サービスを確認したりしてとりあえずデータセンターには問題ないことと、メールで自分の安否を会社や家族に伝えることができた。

さて、電車が全く動いていないので帰れない。とりあえず歩くことにした。この判断は2018年の今においては間違っているらしい。今はどこのビルにも避難用の資材があり、とりあえずその日は帰宅せずインフラが回復するまで、近くの避難所で泊まるのが正解だと聞いている。その当時はそんな頭もなかったので、とりあえず歩いた。軽くはないノートPCを持っていたのでどんどん肩が凝ったしカバンを持つ握力も無くなっていったし、革靴なので足もどんどん痛くなって行った記憶がある。

歩道が人で溢れていたのを思い出す。東京から郊外への集団移動。国道沿いの歩道は人で溢れた。下りの方向へ。23区内にいるうちは地面が見えないほど混雑していたように思う。歩く歩く。ひたすら歩いた。その時の街の景色は良く覚えているのだが、ほとんどの店はシャッターが降りていた。たまにコンビニはあるものの品物はほとんどなくなっていた。あと1つ強烈に覚えているのは「トイレ 100円」という紙を持っていた人が立っていたことだ。確かに当時全ての店が閉まっている状況で人が溢れていて全員が帰宅難民として行脚を続けている時に、トイレというのは重要なのであるが、それを有償でマネタイズするというのも今考えると許されないだろうが、当時はあった。もし次があるとしてもまたそういう現象はあるんだろうな・・と思う。一方で、お味噌汁を配っている人たちもいたのを付け加えたい。こちらはもちろん無償だ。本当にいろいろなことが起きていた。

そういえば、道路だが、地震直後は車はピタッと止まっていたが、数時間すると大渋滞が始まっていた。車の動きより歩く方が早かったくらいだ。バスはいたが、バスの中にはぎゅうぎゅう詰めになった人たちが乗っていた。けっこう危険な状態だった外観だった。運転席の真横まで人がすし詰めになっていた。横目でみながらテクテク歩いて行った。ビルの明かりがほとんどない夕方の薄明かりの中で車のテールランプが眩しかった。ガソリンスタンドも閉まっている状況だったので、車に乗っていた人たちもかなりのリスクを背負って家路に付いていたんだろうなと思う。

家族と電話が通じたのは22時ごろだったと思う。家族は自分のことを心配していたが、私も家族のことを心配していた。テレビの報道をそのときに知ったが自分の想像していたよりもかなり大きい地震だったことを理解した。また、東京のインフラは意外と強くて一部のビルのガラスが飛び散っていたこと以外は大きな損壊は目にしなかったことを話した。また、危険なので車で迎えに来るなと家族には伝えた。

23時くらいに最寄りの駅に着いた時には、なんと電車が動いていているのが見えて、なんだったんだこの行脚はと思いながら、たまたま空いていたコンビニに入ってみたら、チョコレートだけが売っていて、お腹もペコペコだったのでそれをとりあえず買って、喉が乾くなか甘いものを口に入れたらたまらなく美味しかったのを思い出す。

そんなことを思い出している、311前日。多分全く同じ状況はもうないと思う。震源地も違うだろうし被害も違うし、またそれに対する対応も違って来るだろう。ある人は、付近の避難所に泊まり、避難所の自分が座った隣に女子高生がいて変に親しくなってしまい困ったというネタを披露されて私も困ってしまった。確かに大東京で家に帰れなくなり携帯もつながらず避難所に閉じ込められた時に、横にオッサンがいて頼れそうなら頼ってしまう女子高生の気持ちもわからなくもないが、とても理性のある人だったのでなんとかあしらったらしい。あの日に何があったかは、人それぞれだと思うが、それぞれの311があるのは間違いない。

翌日は、もう出社できる人だけ出社しようということになり、私は家からリモートで仕事することにした。テレビはどこも地震とその影響についての話題。ここから先はご存知の通りだ。自社で使っていたデータセンターはなんとか計画停電から外れていたので大きな対応をしなくてよかったが、電気の存在を強く感じたのを覚えている。

 

毎年この季節が来ると思い出すが、たまたまブログを始めたこともあり、文字にしておいた。少しずつ忘れていくと思うので残しておくことは重要なのかもしれない。もう起きて欲しくないこと、そして自然のやることなので保証はないこと、いろいろな不確実さの上で生きていることを改めて確認するこの季節だと思う。