orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

毎日、言葉にする行為が生み出していること

 

言葉にすること、って日本人だから日本語使えば普通に簡単にできる、と言うのが思い込みのようで。心にあることを言葉にするというのは「変換」であり、その変換品質は人それぞれ、だ。

事実は一つなのに、人によって表現はバラバラで、しかも伝わる確率にバラツキがある。偉い人、お金を持っている人が、言語化の達人かというと、そうでもない気がする。すごくわかりにくい言い方をして、この意味が分からないのは君の経験不足だよ、と責任転嫁をしてくる人も普通にいる。でも私は、本当の言語化スキルとは、たくさんの人に同じ意味が伝えられ、かつ共感を呼べることだと考えている。相手が悪いなんてとんでもない、と。

言語化の訓練を、ブログ書きだのnote書きだの、Xだので日々繰り広げていると、もう訳の分からない進化を自分自身がしているのがわかる。仕事の中でも言語化について最も優れているので、マネジメントの位置に居られると思っている。人々の気持ちを捉え言語化することがどんなにうまくても、人々の気持ちを汲み取れることとは違うのが複雑な話だが。人間、色んな複雑な気持ちを抱えているので、言語化して相手に共感を与えたとしても、全体のほんの一部であると思う。仕事では相手の全てを言語化する必要は全くない。業務に関係する部分だけでいい。だからこそ、仕事の場ではコミュニケーションには困らないが、飲み会では話をするのはあんまり好きじゃない、と言うことが起こる。私のことだが。

ほとんどの人が、何か抱えている気持ちがあって、それを言語化することに難しさを抱えているという前提に立つと、何だか私がこうやって、何かのことを言語化し続けるのは価値があるのだろう、と思う。これだけたくさんの人が暮らしているんだもの。今書いたこのことが、誰かにとって「そう!そういうこと!」となる可能性はいつでもあるわけだ。

ひとまず、ひとまずは、意味が通ること。理解するだけの情報が整っていて、たいていの人が呼んで同じ意味に解釈されること。その上でその内容が、誰かに取って言語化できなかった何かしらの心理的現象であったりすると、きっと私の言語化は誰かの役に立ったことになる。

そうやってね、私自身ですら誰に対して当たりが出るのかわからない言語化だけれど、日々続けていることの意味が生じていると解釈している。

誰かの役に立つって、楽しい事だよね。

いつどこで役に立っているかわからないけれど。