運、なんていうとオカルト的だし、運を最大化する思考と言ったらそれが呪いとなりそうなのであまり言語化しなかったけれど、普段考えることを書いてみたいと思う。
世の中を観察して思うのは、並外れた成功をした人が大きな不幸を背負う、という現象が起こること。しかも、成功と不幸の間に何の相関関係もない。天文学的な成功と、天文学的な不幸がセットになっているという状態である。もちろん、そんな不幸すら跳ね除けるパワフルな人生を送る方もいらっしゃるが、そう言っても天文学的な不幸を引きたくない。むしろ成功より不幸のほうが嫌である。
だからこそ、成功は並外れないほうがいいんじゃないか、と思うことがある。ほどほどでいい。ほどほどよりちょっと先ぐらいでいい。例えば宝くじが10億当たるようなことはいらない。そんなイメージを持たない方が、不幸に当たらず生きていけるんじゃないか、なんて思う。幸運には時間軸での総量が決まっていて、それを飛び越えるような量を手に入れたときには、どこかで精算が待っているのではと思ってしまう。
それぐらい、何か相関関係を感じるが、本当に大成功を掴む人は、その不幸すら血肉としてさらなる成功に向かおうとするのだから、何かどこかでコントロールしているような気もしなくもない。自分の実力に合わせて最大の成功を徐々に掴んでいく姿勢が大事なのかもしれないな。
あと思うこととしては、運を失うような行動、が明らかにあるなという感覚がある。少なくとも人様にご迷惑をかける行動が最も運を減らす。人様のお役に立つことは最も運を上げることがわかっているが、運を上げるためにお役に立とうとしても、なかなかうまく行かないのが世の中じゃないか。そんなに眼の前に都合よく困った人が現れ、自分がスキルをたまたま持っていて大いに感謝されるなんてことはないだろう。それより、迷惑をかけない、という軸のほうがよっぽど的確だし戦略的ではないか。
それぐらいに、迷惑をかける行為を世の中で普通にみかけることがある。それって、運を失う行為だよね、と話しかけることはない。心の中で思う。自分だったらそんなことしないな、と。誰かのために役に立った量が運を蓄積し、誰かのために迷惑をかけた量が運を欠損する。特を積む、なんて言葉があるがまさにその考え方をしている。運はめぐりめぐって自分に得を与えるし、失えば損をする。それだけだが、得をしたいのが人間じゃないか。
こんなふうに、どういう人生を歩むか、の以前に運の増減を感じながら生きるなんて人はどれぐらいいるものなのか。50年弱生きてきて、どうにも運の存在を否定する気にはならない。だって「自分には制御できない何かのイベント」が自分の人生に占める割合が多すぎないか。であれば、もう自分らしく生きることと、実力以上の成功は目指さないこと、その上で、明らかに運を得るような行動を好み、運を失うようなことを避ける。
そんな思考って結構重要なことじゃないだろうか。こんなに制御不能な運にも、何か関連があるのであれば。