orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

少子化問題を言語化してみる

 

少子化問題、危機的状況であることを政府は認識しているらしいが、いろいろやってもダメだろう。ダメなことをずっと見てきて私は対象外の世代になったので、今までの延長上でいろいろやったところで、ダメなままだ。若い世代に急に刺さるわけがない。

すごく経済的負担ばかりが取り上げられていて、じゃあ手当を増やそうみたいな議論になりがち。でも、仮に手当を倍増しても変わらない。保育の問題?、それもかなり行政も頑張って待機児童を減らす方向には努力したが、今度は少子化でお客さん自体が減ったものだから、保育施設が今後減るだろうというね。

一番の原因を言おう。都市化の進捗による核家族化だ。最近核家族という言葉自体を皆言わなくなったね。定義を確認しておこうか。

 

dictionary.goo.ne.jp

ひと組の夫婦とその未婚の子供からなる家族。家族の基礎単位とされる。

 

一つの世帯に、夫婦と子供しかいないということ。

都会に住んでいると当たり前だ。なぜなら、1つの住居が小さいから。核家族限定の住居しかまず買えない。なぜかというと都会は大人口を収容する割に土地が限られるので、マンション・アパート含め集合住宅が多い。集合住宅には核家族前提の部屋がほとんどだ。もし非核家族、数世代が集まる世帯前提の部屋を作ったところで売れるかどうかわからない。

核家族化が進行した都会において、子どもの世話は、確実に夫婦二人で見ないといけない。ところが次に、共働き化も同時に進んだ。そうすると子育てがとても負担になるのである。一人ならまだいいが、二人、三人だともう手が回らないのが確実だ。

そういう状況に対して、お金をあげたところで、子育ての負担自体は何も変わらない。お金で解決するとして子育てを外部の人に手伝ってもらうのか、と考えた時、自分の子供を他人に預けるのは本当は嫌なはずだ。しかも、未就学児ならなおさら。

つまり、日本自体が田舎を捨て、スマートシティー化を目指した2000年ごろ。平成の大合併をおぼえているだろうか。地域の色んな市町村が合併した。あそこが契機だったと思う。田舎を捨てて、地方都市にインフラを集中させ都市化を目指した。そうすると田舎でも核家族化が進行するし、その一方で東京・大阪などへの大都市圏の人口流入がなおさら続いた。

国全体で、少子化を推奨するような環境づくりをここ20年で進めつつ、「はい、児童手当です」「児童手当増額します」なんてやっても、無駄なのである。お金の問題ではないのだから。原因ではない部分にいくら手を加えても、結果は変わらない。

人口がどんどん増える貧しい国、というのは世界を見渡せばいくらでもある。そういう国では、複数の世代が一つの家、もしくは一つの地域に集まり、集団で子育てをしている。祖父・祖母に育てられるなんて普通のことだ。そういう状況であれば、いくら子供を作ったところでめんどうを見てくれる親族がいる。また、貧しいからこそ、教育費もかけられないから、とりあえず人手さえあれば子育てができる。

このように、社会情勢は世俗も考えず、ただただ、予算の倍増やら保育環境の改善みたいなことを、延々と延々と何十年もやってきて、私の世代(40代)には何も刺さらないまま、対象時期を外れてしまった。だからこそ今から議論を始めるのであれば、社会構造の変化自体を促さないと何も解決しない。

つまり、過度な都市化の是正。親族が一か所に集まり子育てを集団でやる文化。そうやらないと、いつまで経っても子供を産まないもしくはせめて一人、みたいな状況が継続するだろうね。間違いない。