orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

若手を育てるなら、部活動顧問のイメージで

 

高校の部活動の様子などを見ていると、都会の大きい高校なんて部全体で何十人、場合により百人以上を抱えている場合がある。もはや組織、である。部活の顧問を担当される先生は、毎年入れ替わる彼らを束ねた上で成功体験まで与えるのは非常に大変だろうな、なんて思う。

私はもはやベテランそのものなので、今、目の前で若手を集めて組織化しようと試みているが、小さいながらも何だか同じような状況を感じる。たかだか数人なれど、一人一人に声かけして育てるような方法で教育しようとすると、なんともパンクする。いや、パンクすると言うよりイメージはこうだ。

「自分が教えた分だけ前に進むとする。それならば、私が教えないと前に進まない。エンジンのない車のようなもので、後ろから押せば前に進むけど、押している私がいないと進まない。それでは私は、何も仕事ができないではないか。」

どうも私は、しばらくこの罠に引っ掛かっていた気がしている。

数人でもこう感じるんだから、冒頭の部活の例であれば、先生が百人以上に一人一人指導していたようでは全然彼らはうまくならない。それ以外の方法で指導する必要がある。

先生を一人から十人に増やす?。それはもはや組織でもない。まとまりなく集まっているだけになり、ある人はうまくなりある人は伸びない。相乗効果がないので、特にチームプレーが中心となって生産性を高めるような種目の場合は結果が出ないだろう。会社の仕事にしたって同様で、個々の能力を高めることに終始したらチームとしての相乗効果が出ない。

 

最近は、そんな悩みがウソのように消え失せている。若手たちにほぼほぼ任せきることをおぼえた。任せるためのタレントが揃ったということもあるけど、イメージは自走する組織。若手たちが自分たちでタスク管理し、スケジューリングし、PDCAをする。その場に私は直接参加しない。情報交換は密にするが、若手の代表と重要な情報を都度やりとりするだけにしている。

私は何もしないわけではなく、逐一起こることを見ている。見ているというのは、物理的にも論理的にも。出社をマメにして必ず席にいるということを若手たちに提供することにした。彼らはエスカレーションしたいような不安な状況のときには確実に会社にいるようになった。というより若手も私もよく出社するようになった。依然として私と彼らは深く関与しないけれど。

多分に部活動顧問の方も、逐一指導しているんじゃなく、きっと一緒に部活動の場に出て、じっと見守っているという仕事があるんだろうな、と思った。多分に子供達も、先生が見ているときのほうがモチベーションが上がるのではなかろうか。

でも、単に見ている上司なんてきっと不要で、何か困った時にすぐ駆けつけてくれて、適切な指導をくれて、かつ叱らない。Cheerという言葉がふさわしいのだろうか。元気づける、応援する、支持的な指導をすることで、きっと彼らは上司に話しかけやすくなる。最近の若手はよくできていて、空気をよく読むので、ぶしつけになんでもかんでも話しかけてはこない。後は、彼等をCheerする精神で見守ること。

 

そしたら、彼らは本当に自走し出した。彼らは自分のチームだと言う意識が芽生えた。そうすると彼らができると思うことは、指示せずともどんどん動けるようになった。気になるところは先回りして指示するも、その指示すら彼らは次は自分たちでできるようになる。

頼もしい彼らを見ながら、ここまで来たら後は、彼らの邪魔をしないようにしながら、私しかできないことをどんどん開拓し、そしてまた彼らにそれを伝える。やっと、やっと良い循環がもたらされたと最近は前に進めた気分だ。

きっと、大人数で結果が出ている部活動も、そうやって部員に当事者意識を持たせ、自律して成長するような仕組みを練り上げてるんだろうな、と思う。だからこそ、日々のニュースやらテレビやらの映像も、学べることがある。うまく行っている組織にはそれなりの秘訣があるのだ。