orangeitems’s diary

クラウドで働くインフラエンジニアの日々の感想です(ほぼ毎日更新)。

ネットの意見に傷つかないために

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ネットには意見が溢れていて、この記事すら一つの意見なのですが、それに対して傷つく人がいるようです。傷つくだけならまだしも反撃する人もいる。反撃する人が徒党を組んで集団で攻撃することもある。そういう景色をよく見るようになりました。

でも、傷つくだけ無駄じゃないかと思ってます。というのは、人間の考えていることなんて、見た目と中身じゃ大違いで、きっとしょうも無い本能を抱えてみんな生きてると思うんです。そのしょうも無さが発現したときに「そんなことを他人が思っているわけないやい」って思って攻撃に走るんだろうと思います。もっと人々や社会がきれいであってほしい、きれいであるべきだと思っている人ほどそういう衝動に駆られるのではないでしょうか。心の安定は、ある程度の主観で環境や世界を捉え、理解したつもりになっていることで保たれるのだと言うのが私の仮説です。

私は結構私自身の心と対話したり観察したりすることが多く、自分自身のいいところや長所を知っている一方で、すげえしょうも無いと思う部分も知っていて、ということは他人もしょうも無いだろと本気で思っています。だから、あんまり他人を心から信用しないんだろうなと思っていますし、逆に自分を信用してくれる人はありがたいな、と思って感謝しかありません。

だから、まあ例えばこの個人の意見まるだしの個人ブログに対して、いろいろSNSなどで意見をおっしゃる人は多いのですが、まあ基本どうでもいいと思っています。だって、個々でどう思ったって完全に自由ですから。私が意見を言うのが自由なのと同じだけ自由だと思っています。

だからと言って、誰かに意見を言われて私の思いを捻じ曲げようとしたって、そりゃ無駄ってもんだと思います。お互い自由なのに、なぜにすり合わせなければいけないのか。例えば、何らかの記事がバズって、それが誰かの他人の目ざわりだったとしても、それは知りませんよ、という話です。私は私の中身があり、それを創出するまでは自由です。他人も同じように自由。

インターネットに意見が出るということは、街中で大声で叫んでいるのと同じなので、社会のルールを守り誰かを不快にしてはいけない、というのは前提です。だから、そうならないように気を付けてはいるんですが、何せ人間というのはしょうも無い生き物なので、統制が取れていないことは稀にあります。これは、都度気を付けていくしかないでしょう。それも含めて、意見を言う人の礼儀だと思っています。

さて、そんな状況で、やっぱりネットの意見に傷つく必要なんてまるでないと思うのです。ほんと、社会や周りの人々をきれいな前提で見ていくというのは、本当に自分自身の心がきれいな人なんじゃないかと思います。自分自身のしょうも無さに気が付いているのなら、周りだってそうだと思うのがノーマルな現象ではないですかね。

もしくは、自分と向き合えていないか。自分の潔白さを、周りに、社会に投影している人か。

確かに、いらっしゃいますよね。自分も潔白で、周りも潔白で、だから少しの汚れも許容できない、というタイプのキャラクター設定。本当に純粋に当てはまる方が存在するのかは不明ですが、もしいらっしゃったら私は近づきませんね。

だって、そんなの、大ウソでしょう。

私の主義は、真正面から向き合って、ダメを認めて、そして長所を生かす。ダメだから避けることもなく向き合っていく。ダメが引き起こすことは受け入れる。そして長所が産む素敵な出来事を味わう。

そんな人間が作るネットですから、まあ許容できないクズのような意見が表出したってなんら驚くことは無いと思うんです。自分が加害者になる可能性だってもちろんある。一番いいのは、何も発言しないことなのかもしれませんが、そりゃあ、人生なんですから、やってみないと何も楽しくないと思いますがいかがでしょうか。

自由って、そういうことだと思います。他への許容がないのに、自由なんてありません。