orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

社会に対して1ミリも隙を見せない姿勢は得をする

 

いいことがいい熱量で書いてあったので感想を書きます。

 

saize-lw.hatenablog.com

 

人生も50年弱過ごすと、ああ、若い時にはこんなことで悩んでたな、と言う記憶がだんだん薄れていきます。上記の記事はおそらくその一つです。自分がどう見られるかと、自分がどう振る舞わないといけないか、という二つの概念。勝手に振る舞っていい子供時代から、社会人に向かって基本的には誰でも悩むことになります。社会全員が自由に振る舞ったらそりゃ、社会は大混乱になります。というか混乱はしていますけど、収拾がつかなくなります。ある程度の抑止力が働くから社会が運営されていきますが、その抑止力こそが、「人に良く思われたい」という欲求から来ていると思います。

人に良く思われたい、と思わなかったら人生楽になるよね、って一言で言いますがかなり大変ですよねそれは。私も頭ではわかっていたのですが、若い頃を特に思い出してみると、異性にはモテたかったし、大人には良くできる若手だと思われたかったし、欲まみれではありました。

自分らしくありたい、ということと、よく思われたい、という2つのせめぎ合い。自分の中で不協和が起こります。

・自分の中にある本来の自分

・人から思われたい自分

この2つに差分が出れば出るほど、人生は行きづらくなります。人によっては、私が他人を観察している限り、あまり欲のない方もいらっしゃいます。あまり良く思われようともせず、自分らしくありたい、とも思わない。私には理解できない世界ですが、社会にはいろんな人がいらっしゃると思って、そこからは深く考えないようにしています。

 

では、この、自分の中にある本来の自分が強すぎる私が出した結論。それは、人から思われたい自分の破棄、です。まずは他人に期待しない。よく思われるだろうとはみじんも思わない。それよりも、自分本来であろうとすることを優先しました。

そしたら、他人から嫌われたり抑圧を受けたりするに違いない。社会で自由気ままに発言し行動したら、敵がたくさんできてその場所から逃げるしかなくなる。それはその通りだと思います。勝手気ままに動ける環境などどこにもありません。

気を付けたのが、「社会のこれだけは守って、という最低限のルールのようなものに敏感になり、それだけは守り続けること。そして始めから。」ということでした。違う個性同士が社会で生きていくためには、共通のルールがあります。社会人としてのマナー、とまで抽象化されると「そういうのがあるから自由な発想が減り人間が束縛され社会が衰退する」とはよく言われます。それは全く違います。鉄則として守るルールを1ミリも外さないからこそ、後は自由にふるまっていいのです。順番が違うのです。社会で誰かとコミュニケーションを取り一緒に生産していくメンバーの一員として参加する以上は、そのルールを守り続けるという表現を同時にしていかなければいけない、のです。

2000年に入ってから、ハラスメントの問題や働き方改革の問題など、社会はいろいろな情報共有を行い、「守るべきルール」を明確化しました。だからこそ、それを踏み外すような人とは、基本的にお付き合いすることはしない、と言うルールになったのです。

わかりやすい、ですね。

わかりやすすぎるので、私は守ることにしていますし、かつ守っていることを表現し続けます。これこそが「社会に対して1ミリも隙を見せない姿勢」だと思います。

新卒採用の面接の場は、まさに、この社会のルールを逸脱する人格ではないかを、企業側がテストし続けるような場です。学歴を見ればある程度の学習能力はわかりますから、後は、今後一緒に働く同僚として、信頼できるかどうかを測っているのです。

昔と比べると、私のような我の強いタイプでも、生きやすくなったと思っています。だって、わかりやすいですから。わかりやすくなったのに、それを「そのルールこそがダメ」とか言ってたら、じゃあ何ならいいんですか、と言う話だと私は思います。