orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

デフレマインドを思い出す

 

今ではインフレ大変だ大変だって大騒ぎしているけど、私が社会人になった1997年くらいから、ずーーーーっとデフレデフレって言われて、今とは全然違うことが常識だったんだ。

例えば、世の中どんどん自動化が進んで生産性が爆上がりする。だから、人間が生きていくために必要なモノはどんどん供給されるけど、消費しきれなくなるので、モノの価値はどんどん下がっていく。と。

人は豊かになるにしたがい、欲しい物は充足され、欲しい物そのものがなくなっていく。しかも、大量生産によって安く作ることも達成。安くものが手に入れられるようになるからみんな豊かになるよね、とかなんとか。

実際、あのデフレ真っ盛りの時代は、服にしろメガネにしろ散髪にしろ、いろんな価格破壊かつ、品質はいい、みたいなコラボが起こって、安くものを手に入れられる時代になった。一方で、預金の金利は0%近くのまま。借金しても金利は低く、そして不動産を買ってももちろん値上がりはせず。いわゆるデフレ社会を生きた。

デフレ社会って、生産能力は高い上に、人間は過剰だっていう論調だったので、人間に支払う給料もそんなにいらないよね、物価も下がるし、ということで、給料も当たり前のように上がらない時代になった。また、働くことの多様化という言い訳もあいまって、非正規で働きつつ、待遇は低いみたいなことも正当化され、そして非正規の割合は年々増え、デフレ社会が完成していった。

さて、完成したのに、世界情勢が変わってしまった。

デフレ時代に、生産性が十分にあると言われたのに、いわゆる発展途上国が発展していった。貧しくて当たり前とされていた国がどんどん富んでいき、そのための生産能力が必要になったが、それは地球規模で枯渇することになった。

モノがねえ、資源がねえ、と。

一方で、コロナ禍で、お金を擦りまくってばらまくムーブメントが起こり、お金だけは余るようになった。ということは、モノは足りないお金は足りてるというので、インフレが起こるのは当たり前、ということになった。

日本だけがデフレ社会だよと言っていることはできなくなった。日本って、実際の生産能力と、資源を国内で持っているわけじゃないから。世界で足りないってなったら日本も足りないよ、と。いくら人口減少社会に突入すると言ったって、新しいものを買わないと社会は回らないし、それがどんどん高くなる。

長く親しんだデフレマインドは、今の地球の状況と全く一致しなくなった。むしろ、宗教のような説で、安く建てられた不動産がどんどん世界基準で値上がりする羽目になってしまった。今や中古マンションですら、手の出せない価格に上がってしまっているのが、今の首都圏である。

今となってみたら、デフレマインドって島国根性だったんだとわかる。地球の人口は80億とも言われているし、日本だけ見ていても駄目だった。どんなに日本円を発行したところで、海外から資源を持ってこないとしょうがないが、それが枯渇していると。であれば、円安にもなるよね。

というこどで、二十年の間刷り込まれた、デフレ的な考え方、いい加減におやめになったほうがようございませんか?という話だ。不動産?、高くなったけど今買ったらもっと値上がりするよ。銀行に預けておいたって政治的な理由で利息はほとんどつかないのに、モノだけは日々値上がりする時代。銀行に預けておくのが一番コスパ悪いよなって思うんだけどどうだろうか。