orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

「ダメならダメでもいいか」は悪くない

 

会社で働くと、いつも数字に追い立てられる。今年凌いだとしても、来年はそれ以上の結果を要求される。毎年昇給したいのは誰しも思う所だから、そりゃ、計画された数字を超えないと昇給もままならない。だから、やるしかないのだけど。

でも、どうやったって無理なものはあるよな、と思う。今年の計画だって、本当に仕事が来ることだけを前提とせず皮算用も入っているので、できる?と言われると、「できると思います!」ってボスにいい返事をしながら、できるのかよ本当に・・と心の中でいつもつぶやいている。もう何年間もそうだ。

であっても、もう何年も計画クリアをやってきたけど、そろそろ思うのは、未来のことなんてわからないから、できると思わない方がいい。できないとも思わない方がいい。ただただ目の前をがんばればいいんじゃないかな、と開き直ることを最近おぼえた。

これは、決して未来を諦めているわけじゃない。未来にいいこと、悪いこと、両方待っているが人間は具体的な予測はできない。できないことをむげに意地を張って、できる!私はできる!、なんて自己暗示なんていらないんじゃないか。それって、心を擦り減らすだけじゃないか。

未来を期待しない。ただしベクトルだけは目標に向かって、あとは明日のことだけ考えて明日を良くしていくしかないし、それで、~ダメならダメでもいいか~と思うわけである。

ダメでも未来は来るし、正社員でいる限りは、計画未達であってもクビになるわけじゃない。そもそも、計画が高すぎたのでは疑惑もある。でも計画の作成権は労働者にはないわけで、経営の都合通りの数字を結局は追わされている図式である。私が計画を決めたわけじゃあない。

全ての知恵を使って、計画に向かって行動をする。それは約束する。それでも、無い袖は振れない。できないものはできない。どこかの会社みたいに、違法スレスレいや、違法な方法にまで手を染めて達成したところで、今年末に「がんばったね!」って言われて、来年も頑張れ、に話がすり替わり、そして来年また計画に取り組むというのは、延々と変わらない。

そういった数字のプレッシャーを感じて日々の仕事をするより、もう吹っ切れて、「(内心で)もうダメでもいいです、仕事はします」と思うのが最善手だなと言うことにしようと思った、最近。だってその重圧、もはや無駄でしかないんだもの。気負うくらいなら仕事する。

であっても、結局、方向性さえ間違っていなければ、結果は着いてくるものだ。だから、結果を追うのではなく、結果に向かって一歩ずつ進む。

もしも、万が一、本当にダメなら、決心がどうこうじゃなく、元々のビジネス自体のやり方がおかしいのであり悩んでもしょうがない。それこそ新しい頭が必要になるわけで、ダメの次を考えた方がよいのである。悩んでなどいないで。

ダメになった時のことを恐れても、どこにも行けないのである。ダメでもいいのだ。