orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

「職を失う」の解像度

 

最近の言葉の使い方だと「AIの出現で職を失う」で良いと思うが、職を失うとは何だろうか。一番わかりやすいのは、自動改札機の出現で、改札で切符をハサミで切っていた人たちの仕事が無くなったこと。私が上京した時は既に自動改札だったので知らないけど、当時の人はショックだったと思う。そうやって職は失われるわけだけど、はい、クビね、ってわけじゃない。その人たちは別の仕事にあてがわれる。それが日本の会社というもの。人を使い捨てにはできないようになっている。余ったら余ったで、それなりの仕事を作らねばならぬ。

だからいいんだ、失うっていうのは、また新しい仕事が待っているということ。何かが無くなれば何かが生まれる。会社は人を抱えている限り何か生産的なことを次に考えなければいけないし、人が集まって、何か食べるために何かやらなきゃって思ったら新しいことを次にやるようにできている。

そういえば、今私が担っている仕事はインフラエンジニアだが、無くなるよ、と10年前くらいに言われたことがある。クラウドが出現し、ボタン一つでサーバーが立てられるようになった。確かにそれまでは、機械をベンダーに発注して、数週間したらオフィスに機械が届いた。それを開封して組み立てて電源入れて。ディスプレイにつないでセットアップして・・としなければいけなかったがその辺がまるで無くなった。初めてクラウドの話を聴いたときに、確かに便利だなと思ってそれなら、飲まれるより飲んでみようとクラウドの仕事だけを受けてみようと思ったら、今やクラウドだけで仕事が成立するようになった。ボタン一つとはいかなかったからね。ワンクリックでサーバーは立つけど、立った後も仕事はあった。ちゃんと使えるためにやらなければいけないことをやらないと、いい加減な仕事をしていると痛い目に遭うのは、これまでの仕事と同じだった。

そう考えると、確かに私は仕事を失ったのかもしれないけど、新しい仕事を得たのであり、失うことばかり考えて悲観的になるのは本当に意味のないことだ。失うのと得るのはだいたい対になっている。手動改札が無くなれば、自動改札のメンテナンスの仕事は生まれているのだから。

つまり、失われるな、という直感があるとしたら、何かが裏で生まれている。生まれている場所に一番近い位置に、失われる仕事に就いている人がいる。その人たちは、そのタイミングをチャンスだと思って新しい技能を身に付けることに積極的であれば、実は時代の先駆者になれると言うカラクリということに気が付くだろうか。だって、失われる一方で生まれるその仕事は、きっと時代の最先端なのだ。今回のAIだってそうだろう。AIに取って変わられるなという直感がある人は、自分から手を出して自分の仕事を消す方向に行けばいい。そうすれば、最も価値のある人材になれるというものである。

最近も、仕事をしながら、何かAIを使って自分の仕事を消せない物かなと思念している。それができたら、色んな人の仕事を消す方に廻りたいのだが、まあなかなか、難しいものである。それぐらい、「職を失う」には悲観はしていない。