orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

システム運用はお金で解決したい、ができなくなってきている

 

ビジネスは基本的に成長していくものだし、拡大していくことが前提で、しかも最近だと「システム」が付いてくる。全部人力で作り上げるビジネスなんてあるのか。いや、ない。あるとしても小規模だろう。人だけで成り立つなんてビジネスを放置しても、きっともはや、人が集まらない。コンピューターによる自動化はない。全部人力だ。さあ仕事しなさいって、それは原始的だろう。あらゆる仕事場で自動化ありきの人間の仕事が増産されているのであり、人々もそういう職場を狙っている。時代遅れの職場で、かつそういう人力の仕事は生産性も低く給料も安いので、どんどん敬遠されるようになる。

さて、じゃあシステム化しました、と。システム化するための要員はまだいるようだ。各社ベテランが腕を奮っている。DXの掛け声でクラウドもあって生産性は上がり、システムと名の付くものが量産されている。わかっている、システム構築のスピードは10年前と比べると段違いだ。過去は3年がかりで作っていたシステムが、最近はモノによっては半年ベースでできあがってしまう。生産性が上がったね、素晴らしい。

 

しかし。

 

システムが生まれたとしよう。このめんどうを見る運用。運用する人の生産性は構築スピードほど上がってはいない。監視アラートを見つめ、予兆対応し、場合によっては障害対応する。この仕組みは過去から何も変わっちゃいない。人が必要だ。人間の数が必要だが、これが全く持って間に合っていない。

構築の生産性が上がったのでIT技術者の給与は上がるのだけど、運用に携わっている人が、昔の数倍のシステムを受け持つようになったかと言えばノーだ。限界がある。そこまで担当するのは無理、と言う感覚は過去から大きく変わりはない。システムには社会的責任がある。社会的責任を強く背負い過ぎると、人間、精神が壊れる。分担が必要だ。

システムが増殖したのに運用に対する生産性が上がらないとなると、人が足りなくなる。それが正に今だ。各社IT投資はうなぎのぼりでどんどんシステムは作るし、それに対する運用費を支払う準備もある。あるが、肝心の人がいない。人がいないので、構築したシステムが宙に浮き、誰が運用するんだということで暗転する。自社にいない。それなら他社にお願いするしかない。お金はあります。だれか運用してくれませんか。

こうやって「お金で解決する」ことを昔ながらにたくさんの会社がやってきたけれど、受けられる会社がどんどん無くなっていく。運用する人の数は限られているからだ。

 

私も運用をしている人間の一人であり、かつ自社で抱えきれないことを危惧している。だから、そろそろ、他社とのつながりを作って、運用することについてアウトソースしたり共同でやったり、みたいな形でこの世の中のシステム運用を、たくさんの人とシェアして巻き取って行かないといけないんじゃないかと思い始めている。

昔は、競争だったんだ。自社がシステム運用を勝ち取るぞ、と思っていた。しかし、今や「どうぞどうぞ」の世界である。手を挙げればシステムが吸い寄せられるぐらいだ。お金はあるけど誰もめんどうを見てくれない。今後もっとそうなると思う。運用の生産性は大きくは上がらない。今こそ、システム運用をしている会社は横のつながりを作って、要領よく担当していくべきだと思っている。じゃないと、きっと今後、せっかく作ったのに運用しきれないシステムが山のように生まれていくだろう。