orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

仕事の忙しさと不機嫌の密接な関係

 

今、恐ろしく忙しくて、私の過去の仕事ぶりを振り返ってみても、仕事量が最高水準な自信がある。

昔経験した忙しさは、難しいシングルタスクを短時間で成功させなければいけない、という類のことが多かった。

今経験しているのは、目の前に5本くらいの仕事が同時に発生し、それらが全て重要で後回しにできないということ。だから同時進行になる。いわゆるマルチタスクである。いくら仕事をさばいてもさばいても仕事がある。

ある仕事に集中していると、別の仕事が割り込んでくる。優先度を都度考え、タスクを切り替える。優先するタスクが急に切り替わりその仕事をやっていたら、また割り込みが。

割り込まれる度に開くフォルダやファイルを変えなければいけないから、そこで時間もかかるしストレスもかかる。そして何度か切り替えを短時間に行っていると、案の定何をやっているか頭の中が混乱してくる。

一人仕事ならまだ脳の中の情報整理だが、今は少ないながらもチームで仕事をしていて、部下からの相談も受ける。正直言って部下の相談が一番優先度が高い。なぜなら相手が人間だからだ。他の仕事は自分とコンピューターの対話だが、人間の方が位が高い。

パソコンと人間と、複数のタスクと、目まぐるしくスイッチしていくと感じたのが、脳のメモリーが圧迫されてくる。短期記憶を脳の中にいくつかプールして切り替えていたが、いよいよその容量が足りない。この現象を今回、人間として客観的に感じることができた。

頭の中の容量が足りなくなると、思い出すのに時間がかかったり、疲れて集中力がなくなったり、そしてその状況に不快になってくる。その中に人間系の差し込み、部下の質問や急な会議の予定が入って、その時に、不機嫌なる感情が自分の中に入ってくるんだな、とわかった。

そんなの、八つ当たりやん、ということになる。私に質問しに来る人や会議のメンバーには何の責任もない。むしろ質問は躊躇なくすぐにするように部下にお願いしているので、それを不機嫌で対応するなんてとんでもない。言動不一致。もしそんなことをやったらひどい。ただ、過度なマルチタスクによるストレスは生理的なものなので、何らかの処理を自分の中で行う必要がある。感情は無くすことはできないから、せめて周りにそれが伝わらないようにすることは、至極重要であると思う。忙しさの副作用だ。

過去、確かにすごく忙しい時に、私は不機嫌さを醸し出したことの一度や二度、あるかもしれない。それで、迷惑をかけたこともある。でももうそんな失敗はしない。もうずいぶんな年齢だから。不機嫌は自分の問題で、それを制御し、他者とのコミュニケーションでは1ミリも影響を及ぼさないぞ、そんな気合で、今の苛烈な忙しさとお付き合いしている。

そうなんだ。仕事が暇な時には自分のメンタルコントロールなんて簡単だと思っていた。そしてコロナ禍を挟み、あまり忙しくならなかったのもあり、もう私は十分大人になって、情緒も安定したんだと思い込んでいた。

ところが今回の忙しさである。忙しさは脳のリソースを奪い、そしてできていたことができなくなっていく。こういうときこそ、当たり前に無意識的にできていたことが、今もやっているか再確認しないといけない。過酷になればなるほど、より動物的な感情や行動、発言が露見してきて、痛い目にあうこと。これは世の中のニュースを見るたびに思う。苦しい環境に置かれると人間の本能的な部分が出てきてしまう。

忙しい人は気を付けた方がいい。限界に近づくと情緒がおかしくなる。あり得ない言動や行動が、感情の発露で引き起こされる。

そんなことになるぐらいなら、仕事をセーブしないといけない。私は何となくその手前をうろうろしているような気がしたので、言葉にしておいた。