orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

マネージャーの道を選ばなくても未来はあるか

 

CEOに対してのCTOみたいな議論がある。管理職、つまり、人の管理、お金の管理などを担うととさすがにそのポジションは偉いよな、みたいな社会のコンセンサスがある。一方で、技術最高責任者のようなポジションって実は難しい。あの人は技術がある、という状況を会社においてどう位置づけるのか。資格試験?とんでもない。資格試験を合格したら何億円が自動で入金されるんだったらまだわかるがそんなことは決してない。とある技術を基盤に社内のメンバーに強い影響を与え、そしてリスクのある技術的な問題が発生したときは矢面に立って解決まで奔走するような責任を言うのだろう。

この技術のポジション、言ってみればプレイヤーとして実績を重ね、社内外から強い信頼を得て、彼の言うことは正しい、そのとおりにすれば実現するという状況を作り出したからこそ成立するポジションのように見える。

仮にCTOと言おうか。CTOは、技術における立案や選択、決断に対して強い影響を及ぼす一方で、この立場が社内人事に口出ししようならどうなるか。急に、人やらお金やらの話に噛みだすと、本来のプレイヤー路線からは離れてしまうのである。

もっと言えば、プレイヤーから上り詰めたのだから、人のマネジメントに手を出すと、「やけどする」のである。専門外が口を出したらろくなことはない。そして妙に社内で位が高いものだからなおさらである。

たまにマネジメントもできるスーパーマンもいるが、その場合はプレイヤーを辞めないといけない。管理職がプレイヤーまでやったらどうなるか。重要な仕事をやりたくなってしまう。部下は面白くない。難易度の高い仕事をマネージャーが持っていくのであれば、部下はやる気を失う。

CTO的ポジションだからこそ、人の管理には直接かかわらず、マネージャーが判断した結果に対してのレビュー、くらいの間接的な立場であることが望ましいと思う。もしその人事を決行したなら技術的にこんな困ることがあるかもしれない、ぐらいの技術に特化した客観的な判断をマネージャーは欲しがっているようにも見える。誰と誰が仲がいいだの、今がんばっているだのは、考慮する必要はない、と思った。

実のところ私も今年からは似たような場所にいて、それで、ちょっとマネジメントタスクを手放すのは心細いなと思ったのだが、案外手放してみたら結果がついてきた。「ああ、私は人のマネジメント、できなくはないが、得意な人に比べたら勝ち目がないんだな」と感じられて、良かった。限界がわかるというのは、もうこの年(40代後半)になると良い情報だ。だって、今からできないことを延ばそうとするのって、非効率だ。もっと若い頃だったら、今から経験を積んで、とも思ったものだが、ここから経験を積んでもね。それより、今。この時に一番人よりできることに集中し、役に立とうか、とハラハラしながらCTO的な業務に取り組んだが、結果がよかったのでホッとしている。

だって、それで技術サイドの仕事も「向いてませんでした」なんて結論になったら、どこ行けばいいのさ、なんて思ってた。

あと、なんとなく、マネージャーではなくプレーヤー路線だと仮定したとき、この先どうなるんだろ、と思ったのはあった。けれど、やってみたら、結局は業務は絶対に会社はこなさねばならず、業務は技術により解決されるから、技術最高責任者というのは無くならないんだな、なんて、やってみて思った。私がやらなきゃ誰がやる?という話である。

恐らく40歳になるまでに、マネージャー路線なのか、プレーヤー路線なのか、という分岐点がやってくる人は多いと思う。私はそこで、何となく決断しないで過ごしてしまったが、ほぼ強制的に選ばされてしまった。そこは「とほほ」であった。

それより、自分で決める方がいいと思う。迷ってもろくなことはなかったよ、と言っておきたい。