orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

優秀な部下と出会えるか、という観点の重要さを知る

 

私は今まで上を向いて仕事してたこともあり、あまり部下の能力については考えたことがなかった。できる部下がいたらいいな、とは思ったこともあるが期待してもしようがない、から始まり長らくその思考を封印していた。案の定、指導なしでいきなりできるタイプがついたことが今まで一度もなく、なんと40代後半まで来てしまった。

そうなるとどういうことが起きるかと言うと、全部自分で筋道を付けてしまうのである。だって、部下ができないから。部下ができるように翻訳するところまで自分の仕事の範囲となってしまう。部下はできることだけが降りてくる。

その結果、部下は仕事に邁進すればいいのだけど、私はたくさんの、自分しかできないことに対して途方に暮れる。

それではまずいということで、いろいろな教育を部下に施すのだけど、人の教育なんて数年単位でしか達成できない。私は何年この業界にいて手を動かしてきたか。25年。どんなに教育を頑張っても1年でも2年でも短すぎるぐらいな話なのである。

育成するには時間がかかり過ぎるのに、人材が足りない。袋小路に入り込んでいた。

 

この前、ひょんなことで10年選手を部下にすることができた。

職場の受け入れ対応を行いながら驚きを感じていた。なんとまあ、楽か。話が通じる。普段日本語を話しているけどあまりない感覚。初めて出会ったのに、前から仕事を一緒にしていたかのように会話が通じる。

おそらく目指していた「部下のあるべき姿」を体現したような方が突如部下に来てくれた。その結果、以下のことは、ハナから自分が諦めていた観点だということを思い知らされた。

・優秀な部下がいれば、自分の仕事を短時間で理解してくれて、肩代わりしてくれること。

・自分の仕事を肩代わりすることが、人材によってはそもそも可能であるということ。

・教育して育てるのではなく、すでに教育されている人と働くと、すぐに戦力になることができる。

簡単に言えば「即戦力」だ。

プロスポーツの世界を見ていると、年俸何十億円みたいな話がニュースを踊るが、なんとなくその理由がわかった。即戦力で組織は簡単に変わる。育成して使えるようにすればコストは削減できるけれど、時間がかなりかかるし、本当に育つかも不明だ。その教育の時間、もしかしたら、チャンスを捨てているのかもしれない。

そうなると、今儲かっているとか待遇がいいなどとは別に、自分が優秀な部下と出会えるかどうか、という事柄がかなり自分の未来を左右するのではないか、という見地を得た。

資格試験だ、転職活動だ、はいいけれど、いざ自分が会社に対して優秀なアウトプットを出したいと思ったときに、優秀な部下と一緒に仕事できるかというのは、もしかしたら、自分の能力以上に今後を左右する要素になり得るのかもな、と感じている。

 

さて「優秀な部下」と言っても、社内に存在しないかもしれない。

中途採用で採れればいいが、依然として人材難は続いている。

その場合に、やっぱり、専門の会社にお願いして協業することも重要な選択肢となる。その場合は、お金で解決できるということも最近知った。一本調子の採用活動だけでは長年解決しなかった。

どう優秀な人材をビジネスにアサインするかは、いくら自分自身の能力を高めても届かない。広い視野を持って自社内の人材に囚われず、広く世間と関わり、いかに知り合い一緒に仕事をするか。AIどころの話じゃないな、と思った次第だ。