orangeitems’s diary

クラウド専任の40代インフラエンジニアが書くブログ。新規事業マネージャー。20世紀末の就職氷河期スタート時にIT業界に文系未経験で入りこみそのまま生き残った人。1日2記事投稿しています(0:00、12:00)。

テレビに出ている人が限られた人たちになってしまった理由

 

テレビは、私の世代(40代後半)の子供世代において絶大な支持を得たコンテンツだった。全てがテレビを中心に動いていた。テレビが無い家庭はほぼなかった。

たくさんの人が、話題をテレビのことに使っていたし、だからこそ年末の紅白歌合戦は50%近い視聴率があった。あのころのテレビにはありとあらゆる才能と資金が集結し、テレビと絡んだ音楽、映画、芸能人が世間の中心となった。

今のテレビはご存知の通り、既に真ん中にはいない。テレビを見ない人も増えている。新聞を取らない感覚でテレビを見ない。厳密にはテレビはあるけれどNHKや民放を見ない。有料チャンネルはインターネット経由で見るという具合である。

たくさんのコンテンツの中の一つとなり下がったテレビ、それでも私は見ているが、過去と比べると過去の資産を使いまわししつつ、一つの番組に使えるお金は過去から随分減らされているのが丸わかりで、衰退したと考えるのは間違いない。

であれば、今のテレビ局の数は多すぎる。同じ機能を持った民放放送局が複数ある必要はない。ニュースの時間にどのチャンネルを見ても同じようなニュースをやっているのは、無駄としか言いようがない。

そして、今のテレビ番組、同じような人たちでぐるぐる回しているだけなのではないか。「テレビに出られる芸能人枠」というものがありそうで、そこには数十人くらいしか在籍していないんじゃなかろうかという感覚である。

バラエティーでも、音楽番組でも。実は才能がある人が巷にはたくさんいるのだけど、とても外野が参入しにくくなっている仕組みを、テレビ自身が作り上げてしまったように思える。

本来はどんどん才能がある人が能力を発揮して盛り上げていくべきプラットフォームが、中にいる人がその権限を守るために、排斥的な番組作りをしているように思う。

テレビに出られるための権限を持っていると思われる一部の企業群。そこが認めない人は、テレビに出にくいため、まるで才能が無いように思われる人がテレビ番組を牛耳っているように見受けられる。いや、出ている人は一生懸命頑張っているのだが、とかく才能で勝負をしているようにはとても見えない。

その裏事情が完全に表に出てしまっているので、どんなテレビ番組を見ても、世間を夢中にさせるような品質にならないというのが私の結論だ。

もっと、テレビがオープンになり国民誰でも出られて、そして視聴者の好みで勝敗が決まっていくようなプラットフォームにならないといけなかったはずだが、インターネットが出てきた時にテレビ局が背を向けてしまったあたりで、この現実は決定してしまったのかもしれない。2000年過ぎ辺りに、楽天やライブドアのテレビ局買収騒ぎがあったのを昨日のように覚えているが。きっと、今の保守的な体質のビジョンは、あの時がポイントだった。テレビがよりよいものに変わることより、既得権益を守る体制を強固にすることを選んだのだ。

まずは紙の新聞が早晩に終わり、そしてテレビ局もいつしか合併が必要になるだろう。実際テレビ局と新聞社の関係も蜜月なのだから、一緒の船に乗っている。

テレビが王様だ、という数十年前の価値観は、まだ40代以上には横たわっているのでそこまで大きな騒ぎにはなっていないが、もはや20代あたりはテレビを大きく切り捨ててきている。もうしばらくしたら、溶けてしまうだろう。それは、ローカル線が全部赤字と発表したJR西日本のように、いずれは対処しなければいけない問題なのである。

この世の中、あらゆるものを一度再設計しなおさないといけなくらい、過去から続いている文化が古びてしまっていると言いきれるのかもしれない。少なくともテレビは、そのゾーンに明確に入ったと思う。