教養を得るにはどうすればいいか

 

何度か、問いかけられたことがある。教養が欲しい、と。

私は教養を得ようと思ったことがこれまでないので、そもそも教養とは何ぞや、というところから始まってしまった。

 

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とにかく、いずれにしても、何らかの形での問題解決能力を教養と考えてよいようです。もちろん、いろいろな表現、言葉遣いがあるのには、それなりの理由があるのでしょう。それぞれに、教養の一面を捉えて強調してみたり、歴史的な意味で限定しているのかもしれません。ただ、これから大学へ入ろうとする受験生、あるいは、大学で現に学んでいる学生に対して、「教養とは何ですか?」とたずねられたら、

教養とは 問題解決能力 である。

と、答えるのがよいのではないかと思います。

 

この横浜市立大学の記事、すごく私の感覚にあった。確かに、

 

しかし、知識と教養は本来的には違うものです。

 

という指摘が、すごくしっくりくる。

もし、何か参考書を積んで、片っ端から覚えて、それを披露されても「お!教養あるね!」という感じじゃない。それだと、単なる暗記王だろう。

いろんな引き出しを持ったうえで、どこに答えがあるかをおぼえていて、必要に応じて出し入れできる、という感覚だ。

つまり、たくさんのタンスを購入して大事に知識をしまったところで、それは単なるデータベースであり、アプリケーションにはならない。

教養がある芸能人が話すときは、だいたい人が知らないようなマニアックな話を持ってきて、そして「オチ」を付ける。このオチこそが教養なんじゃないかと確かに思う。

もちろん、タンスの中身が空っぽだと、問題解決なんてできるはずはないので、課題に挑みまくるのは重要だと思う。ただしその先、何らかの問題を問われたときに、知識を組み合わせて何らかの解決を提供できるようにするのは、どうやってやるんだろうか。

 

上記の横浜市立大の記事には続きがある。

 

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とりあえずまとめてみましょう。

問題解決能力は次の3つに分解できるのではないでしょうか。

(1)問題を「正しく」認識する力
(2)コミュニケーション能力
(3)知識・情報をツールとして使いこなす力

 

今回ご紹介している記事は何度も読まないとそれこそ正しく認識するのが難しいのだが、まぁ3つあるよ、くらいできっと良い。そう、問題に直面した時点で間違ってれば、推論自体が空虚となる。ほとんどの問題は人間が絡むのでコミュニケーションは必須となる。そして、自身が持つ知識や情報を組み立てて、解決のツールとしていくか。

なんとなく、わかりそうでわからない話だから、まあ「教養」とはかくも難しいものなのか。少なくとも本を読めばいいという類の話ではない、というのは理解できた。

教養を学ぶなら、

・狭い見識に捉われて問題の本質を見誤らないように、多様な見方ができるような知識を身に着ける。

・正しく人に伝える力。人から正しく伝わる力。そして自分自身の思考の中で正しく情報をやり取りする力。教養の基盤となる。

・ある専門性を高めたときの方法論を、その他の領域でも汎用的に利用できること。

ということがポイントとなりそうだ。

 

一般の人が教養に対して思う誤解が、丁寧に紐解かれている記事なので、ぜひ教養に対して興味がある方は読んでほしいと思う。