インターネットに書き続けることがなぜできないか

 

最近は、はてなブログもモダナイズというか、今の時代に合わせたデザイン、マーケティングをやっていこうとする動きが見える。

 

blog.hatenablog.com

毎日さまざまな話題のエントリーが生まれるはてなブログの中から「旬な話題」をピックアップする企画「はてなブログで話題」。今回は「インターネットに書き続ける」ことをテーマに記事を紹介します。

 

このブログははてなブログだし、毎日書いてるし、あのころみたいにインターネットに書き続けてるのは特異というか特別なことなんだろうと思う。

なぜそれができるのか、と言われても、できるからとしか表現できず。なぜ歩けるか。なぜ話せるか。なぜ笑えるか。わからない。

ただ、書き続けられない、書けなくなるというのは気持ちはわかって、私も少し記憶はある。

基本的に、なぜ書き続けられるかというと、生きているからだ。文字通り生きているということではなく、感情があるから。感情の起伏によって発散しなければいけない思いが生まれて、それを言語化するから文章が出てくる。

おそらく、思考がもともと言語と結びついている気質なんだと思う。人によっては抽象的なまま処理ができる人もいて、芸術分野に多い。数字に強い人もいる。いろんな思考のタイプがあって、私は文章型なんだろう。ただ、タイプがあるからといってそっちしかできないということではなく、いろんな思考の仕方の中で好んで選ぶ手段、という言い方が正しいだろう。私だって、芸術分野も好きだし。

だから、書けない、というのは感情の起伏が無くなるということ。コロナ禍の自粛生活の際は特にこれを感じた。感情は穏やかなのだが、発散もしなくてよくなる。その状況で書かねばならぬ。それではまずいということで、またネットを見るわけ。外に出られないから。ネットだけで感情を刺激せねばならず、これは非常に苦痛な作業だった。

まず、生きなきゃいけないということ。自分が飽き始めたら書けなくなる前兆。だから絶えず新しいことに目を向け食いついてみる。ただ危なきゃすぐ離れる。この繰り返し。楽しさと生活の両立こそが、書き続けられるポイントだなと私は思う。

結構、書けない理由のもう一つに、炎上が怖いというのがある。私だって炎上はしたことはあるが、これは何度か経験して慣れていかないといけないものかもしれない。読まれないブログは、炎上すらしないからだ。何度かの炎上を経て、見られるブログになっていくのは皮肉なものだ。なぜ炎上したかはいろいろで、稚拙な、誤解を生む表現があったことが初期の炎上。それを乗り越えていくと、中身そのものの炎上。賛否両論の炎上。そうやって、炎上しても継続するということ自体がブランドになっていく。

ただ、逆に炎上が欲しくて、燃やす人もいるがこれは全く褒められない。目的と手段が逆である。書きたいことを書くのが目的。読んで頂くために炎上をいとわない。これが手段。逆になると、もはや何のためにブログをやっているのか、お金のためか、となる。

賛否両論的な炎上はどうしても起こる。一人の個人が発信しているから、必ず反対側の人々はいるからだ。でも、やっぱりそこで意見は曲げないほうがいいと思う。賛成側の人もいるから。そうやってブログのブランド価値は作られる。

こうやって書いていくと、そんなにブログやっていくの大変なんだ・・という感想もあるかもしれないが、そしてその通りかもしれないが、やりがいのあるものだ。強い思いを抑えられない人がいれば、ぜひやってほしいと思う。