コミュニティーに何を欲しがるかが、変わったのだ

 

過去は、若いころは、誰かと知り合うと、その方はどんな知識とアイデアを持っていて、自分とコラボレーションするとどんなに化学変化を起こすんだろう、そんなことばかり思っていた気がする。

もう10年くらい前になるだろうか、中小企業の社長がたくさん集まる場所に何の因果か出席することになって、さて、どんな脳みその人が集まってるんだろうとワクワクしたものだ。

でも、ふたを開けてみると大したアイデアも知識もなく、やっていることと言えば飲み会や、ビジネスを伴わない勉強会のようなものばかりだった。

私はそこからフェードアウトしたのだが、今考えてみると、かなり自分の人に対してのポイントがずれていたんだなと思い返す。

きっとあそこに集まっていた人たちは、あの場でビジネスなんかしたくなかったのだ。そんなことは部下に任せておけばいい。社長たちがしたかったのは人脈作りなんだろう。いわゆるコミュニティーが欲しいのだ。

社長だって人間なので、誰かと話したいし共感したい。

しかし、会社の中でそんなに緩い気持ちではいられない。必要によっては厳しい判断や指示が求められる中で、対等な関係は少ない。孤独な仕事だと思う。

そして彼らが一か所に集まると、きっと会社の大小はあれ、対等というか、平等な関係になれる。上下がない。

社長業をやっている人たちとお付き合いし、そのつらい心情を共有しあえることのほうが彼らは重要だったんじゃないかな。だって、一緒に遊ぶほうが大事っぽかったもの。技術会議だって呼ばれて技術のことを話したら、上の空だったし。

この雰囲気こそが日本の中小企業って感じだったし、外国から攻略されないための大きな文化、仕組みだと思う。一個一個の会社は小さいのに何かつなっていて、踏みつぶそうとしても案外しぶとい。

そこに参加しようとした私は、言わば外国人と似たような感じで、目的が間違っていた。多分今参加したら、全然違うアプローチをしたと思う。

 

一方で、じゃあ社長ばかりがコミュニティーが必要なのかというと、もはや一般社員ですらそうなのではないかと思う。

私は中小にいるので特に思うが、人間関係が狭くなりすぎる。会社の中でコミュニティーを作ろうとしても、登場人物が少なすぎる。外に‥と言っても、昨今はインターネットのおかげで、電話すらしない。昨日、トラブル対応で超久しぶりにお客様と電話したんだけど、ああこんな方だったんだ、と思ったぐらいだ。

リモートワークも含めて、なかなか人間関係が薄くなりつつある。であれば、やっぱりこれからの社会人、会社を飛び越えたコミュニティーを取得する手段というものが必要になってくる気がする。

ただ、人が集まればいいか、と言うとこれまた違う。ただただ偶然に任せたコミュニティーはリスクがある。私も、「すべての人がすばらしいわ~」とは正直思えない。コミュニティー自体に集まる人の性格、考え方などがある程度かみ合わないといけない。

会社は、採用時に気を使うので、結構メンバーシップとしては機能していたのだが・・、ここ最近の企業論は、人を部品のように扱う側面がある。期待できなくなっている。

こう考えると、ネットで、例えば私のブログのように、自分の考えを表明し、ある程度興味を持った方で集まる・・、わたしのコミュニティーのようなパターンは、意外とこれからの在り方なのかもしれないな、と思った。やり方としては大変珍しいとは思うけど、アプローチとして流行してもおかしくはない。

何かコミュニティーというと、何かを目指すような目的性がないと成立しないのではと思う方は多いとは思うがそうではない。それは、十年前の私のような誤解なんだと、思う。