職務経歴書でやっちゃだめなことを書くよ

 

機械学習がやっているようなことを、生身の人間がやっている気分。

何をかというと、某転職サイトで、延々と職務経歴書を読んでいる。

私は専門家ではないので、特にやりはじめが辛かった。何を手がかりに選別していけばいいのか。いいと悪いの差はなんなのか。たくさんの変数はあるが、気にしていいものなのか。

勝手知ったるITインフラのことなら、俯瞰しただけで何をやるべきか見当が付き、タスク分解し優先順位をつけてこなしていく。案外こういうときは脳は計算しない。引き出しから道具を見つけて並べるいつもの活動において、私のCPUはあんまり動いていない。

ところが、この採用活動というのは戦略が働かない。この分野に取り掛かる前に本でも読もうとしたけれど、どうもコロナ禍でルールチェンジが起こって、これまでの常識とされていた概念の適合率がぐっと下がってしまった。だから、もうしようがないので、エイヤと始めてしまって今に至る。

昔のIT業界もそうだったのだが、とても生産性は低かった。そしてよくプロジェクトが頓挫していた。赤字プロジェクトの撲滅、と言う言葉が流行していた時期があったが、最近は、プロジェクト発足の段階で赤字化しないようにとてもよくチェックされるようになった。生産性が向上していった歴史を見ている。この例えで言うならば、私にとって採用活動というのは、ものすごく生産性の低い活動である。

なぜ専門外の自分が・・と言うのは簡単だ。しかし、生産性が低いながらも続けていくと、だんだんパターンが見えてくる。法則がある。発想したことに対して、方法が確立されていく。そういうものを積み上げていくと、ズブの素人が、だんだん「経験者?」みたいになっていくものである。依然として生産性は低いので、結果は出ていないのに無駄なCPU利用があって、脳は疲れるのだけれども。

年齢がどこまで上がっても、こういった未踏へ踏み込んでいくことで、永遠に成長し続けられるような気はしている。どこかで、人は経験済みのことしかしなくなるものなのだろうか。そうはなりたくない。

 

さて、そのパターンというのがこういうことだ。

・職務経歴書の誤字脱字は1字でも避けてほしい。もし採用されて働いたら、お客様に誤字脱字のアウトプットを提出するのだろうか。もはや求職の段階で自己矛盾していると思う。ぜひ、第三者に目を通してもらい、日本語として成立しているかを確認してほしい。

・一部の職務経歴書に、「私のお眼鏡にかなうなら、雇わせてあげる」という強気な雰囲気を感じることがある。どこにその強気の理由があるのだろうか。会社と求職者の間にウィンウィンが成立し、お互いの成功が理にかなうときに、採用が成立する。その出会いのきっかけともなる職務経歴書の状態がそれだと、見る価値もない。立派な現職なのか学歴なのか資格なのか、何を誇っているのかわかりかねるが、私なら絶対に採用から外す。

・こんな対応をする会社は声をかけてこないでください、みたいなことが書いてある職務経歴書もある。いやしないけど、めんどくさそうだなこの人、と思ってしまった。嫌なことが過去あったんだろう。でも、そうじゃない大多数の会社に、その負の記憶を撒き散らすことはないんじゃない?。

・なんだかバカ正直な職務経歴書を見ることがあった。いろいろと過去問題を抱えたこと、それはもう解決して今はもう大丈夫なこと。そうか、大変だったね、と思いながらそっと職務経歴書を閉じることが多い。こういうネガティブな情報、わざわざ書かなくて心にしまっておけばいいのにとアドバイスしたい。世の中はウソでなりたっている。ウソを組み上げた現実を「リアル」と言う。みんなが信じてれば、真贋関係なく本当なんだ。職務経歴書における情報がすべてありのままの真実であるとは私も思っていない。ただ、現実である、と他人が認識できるくらいの行動がこれからできるか、が大事である。スペシャリストと書いたって、いざ仕事が始まったときに裏で勉強してスペシャリストを演じてもいいのである。現実なんてそれぐらいの虚飾性を完全に許容している(もちろん、学歴や職歴、資格の偽造はいけないことは当たり前。問題はその表現である)。

 

だんだん、私もこなれていくと、いいものとダメなものの判定が相当早くなっていきそうだが、そもそもダメなものがたくさんある時点で、求職者ももっと成長してほしいものだと。だって、無駄な職務経歴書を書くのに業務時間外に工数使って、もったいなくない?。見る方の時間ももったいない。お互いいいことない。

たくさんの人が、もっと見られる職務経歴書を書けるようにいいな、と思う。私はとりあえず、機械学習的な読み込みを続けて精度を上げていこうと思うよ。