なぜ?を考えるのは一度でいいと考える理由

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なぜなぜ分析に巻き込まれたくない人の意見。

 

 

もうあえて、なぜなぜ分析自体の話はしない。知らない方は検索してみてほしい。

重大事象の原因分析をするときに、ちゃんと考えたのかい、反省しているのかい、ということを明文化するために、このなぜなぜ分析を用いられることが多い。

重大事象について、単に原因を考えると、複合的な理由であることが多い。例えば銀行のシステム障害、原子力発電所の事故、大きな社会的影響を与える状況が発生してしまうまでに、内部ではいろんな原因が積み重なっているためだ。

だから、原因と結果、のように1対1で解説できることはないので、できるだけたくさんの多要素を明確にし、再発防止に役立てようというのが主旨なんだと思う。

しかし、一番いけないのは、このなぜなぜ分析の万能論だ。細かいことまでなぜを5回唱えろと。おいおいその事象、本当に複合的なのかい?。と。

明らかに原因は一つなのに、なぜを5回言う。それはもう無駄としか言いようがない。答えは明らかにこれなのだ。

一方で。「わからない」ということに対しても弱いのだ。わからないから、思いつきみたいな原因論が出てくる。猛省します。撲滅します。取り組みます。総点検します。これ、わからないの極致だろう。もう気合で消し去ります、と言っても、原因の1つにも対策ができていないのだ。

なぜなぜ万能論には関わりたくない。

もっと現場のプロセスに注目するなら、5つも「なぜ?」を考えている暇があったら、5つの事象に、1つ1つ「なぜ?」をスピーディーに考え対策を打っていく方が早い。様々な細かいプロセスのミスが積み重なって重大事象につながるのだ。なぜ、細かい事象に毎回立ち止まるのか。スピード感を持って1つ1つ素早く決断していけば、いったん目の前はきれいになる。そして間違えていたら、また修正すればいいのだ。

つまり、重大事象が起こってしまったときの深掘りするためのなぜなぜ分析なのに、現場の細かいエラーまで適用しようとしてしまうから、かえって足かせになる。原因が1つでも思いついたらすぐに行動に移す。その時に2つ3つと思いつくならそれもつぶす。それこそ、重大事象が起きないための現場の最適化されたアクションなんだと私は思っている。

日本の報告書文化が気になるのが、第一報、第二報、第三報・・・と延々書かせて、最終報にたどり着くスタイル。これも無駄極まりない。第一報の後は最終報だ。なぜプロセスを報告される側が一緒になって追うのか。最終報をきちんと出せばよい。原因分析に時間をだらだらかけるより、対策をしっかりやるほうにリソースを使うべきだと思う。なぜか、「反省」やら「誠実さ」みたいなものがやけに強調される。その結果、再発して信頼を失うではないか。言葉だけだったのか、と。

現場の積み重ねが会社の品質を作るのであれば、なぜなぜ、と2回なぜを繰り返すくらいなら、複数の結果に対して複数のなぜを生み出し、複数の対策をすぐやる、そんな文化を作るべきだと思う。人は忘れやすいのだからいくら文章にしたって無駄。それより手を動かし続け、すぐ過ちを修正する文化を作る方がよっぽど大事だ。