削除コマンドの危険性

 

業界経験も長く、しかもインフラの立場からいろんな出来事を見てきているので、悲劇のシーンもいくつかあるのだが、最も危険性が高いと思うのが削除コマンドである。

削除、といってもデジタル的なもので、手触りはなく、場合によっては一瞬で完了してしまう。物理的なものが無くなることに関しては一般の方々もピンとくるのだが、デジタル情報が消えるということについては今一つ分かってないという人も多い。この業界にいてもそういう人はいる、いや、多い。

経験の浅い人が作業をすると特にその実感は根拠を持つ。何が怖いかって、コマンドを投入する時の確認の無さ。コマンドを入力してエンターキーを入力する前。OKボタンを押す前。何しろコマンドが実行状態に入る前の一瞬の間。そのタイミングがあまりにも短いとき、あ、この人、入力することに対しての恐怖感が備わっていないなと思うのである。

今入力している内容が何で、それがどんな意味を持ち、もし間違えると何が起こるか、まで想像して作業ができればもうそれでいいのであるが、それをしない。なぜしないのか。

①私は手順書どおりに作業を実施しているので、リスクはないと思っている。

②作業によってとんでもないことになるという自覚がない。

③何も考えていない。

まあ、どれもこれも危険なのである。それらを支える基盤のようなものが「無知」である。手順書が間違っているかもしれないという知恵がないこと。作業誤りの被害について知識がないこと。考えて作業をしなければいけないという知見がない。

全ては経験の無さ、教育の不徹底がはじまりだが、案外難しい問題である。なぜかというと、失敗することができないからだ。本番作業において失敗したら大変なことだ。削除していけないものを削除したらまずい。でもさせられない。しかし、やらかした後にしか、やらかしたことの重大さは本質的には経験できないのだ。

どこやらの金融機関では、過去発生した重大障害の振り返りビデオを作り、定期的にメンバーが見直すようなことをすると聞いたが、この辺りを痛感しているのだろう。あまりにも障害を踏まないようにと徹底するあまり、その重大さを皆が実感しなくなった。その結果、無知が広まりリスクが広がっていく。

それもこれも、このデジタルにおける削除、の意味の難しさにあると思う。かく言う私は、パソコンがまだ黎明期だったころ、データをハードディスクに保管していたらOSごとぶっ飛ぶとか。フォーマットしようと思ったパーティションを間違えて消してしまうとか。まあ、個人レベルでいろいろとやらかしたことそれぞれはしくじりなんだけど、それらが仕事に生きている。だって仕事では失敗できないから。

ベテランが当たり前のように思っている感覚すらも、後天的なものというか、いろいろと経験した結果自然に身に着いた感覚であり、若手も「それぐらいわかってるだろ」って思って仕事を任せたりすると、作業をふと観察するととんでもない感覚で雑に作業していたりして気も休まらない。

この辺りは、実は車の運転免許とも似ていて、事故の映像なりパターンなりを、結構恐ろし気にビデオで見せるけど、デジタルの世界も同じなのかもしれないなと思うこともある。実際に事故を起こすわけにはいかないから、再現ビデオなど、こんな大変なことになるから、気を付けようね、というのは案外必要なのかもしれないな、と思う。

若手には、何でorangeitemsさんはそんな細かいことで怒るんだろ、と思われているかもしれないけどさ。