DXは、ハイプサイクルでいうところの幻滅期に入ったと思う。多くの会社でDXを掲げて取り組んだものの、下記のようになっているのではないか。
・システムが増えただけだった。
・クラウドにシステムを持って行って終わった。
・社内が混乱した。収拾したが色んな人が傷つき、DXは禁句となった。
下記のような象徴する出来事もあった。
セブン&アイ・ホールディングスが巨費を投じて進めてきたデジタルトランスフォーメーション(DX)戦略が水泡に帰した。昨秋にDX部門トップだった幹部役員が事実上“失脚”し、戦略の目玉だったIT新会社構想も白紙となった。巨大流通グループの内部で何が起きていたのか。
全15回ということでまだ全体が明かされてはいないが、明らかにDX失敗、の話である。DX自体は会社にとってポジティブでしかない話のはずだがなぜこうなってしまうのかは論理的に考えられる。
システムが増えただけだった
DXのことを、単にデジタルを使った新しいビジネスへの参画と考えてしまうと、そこから要件定義が始まってしまう。ユーザー企業が急に要件定義ができるようになるはずがない。元SIer人材をかき集めたところで手が出る領域ではない。業務も知っていて、かつSIもできる、なんて人材を急に育てられるはずもない。結局、組織も整っていないのに急にシステム開発が始まり、そしてとりあえず1つ作ってみようとなる。しかも社内に人脈もない人物がトップになり、何か作っても業務部門に使ってもらえないのがオチである。社長の一言で社内が利用したとしても、それは単にシステムが1つ増えただけ、になる。それはDXとは言わないのだ。
クラウドにシステムを持って行って終わった
よくあるのが、AWSやAzureに社内のオンプレを持っていきました、という話だ。これがDXになるわけがない。もちろんIaaSに置いたから新規システム開発が俊敏になる可能性があるが、これは単にコンピューティング利用の手段が変わっただけに過ぎない。
問題はアプリケーションだ。結局、社内でのシステム利用やシステム開発の手法について基盤が変わっただけで、運用方法も提供内容も全く変わらない、のであればなにもDXはできていない。
単に支払い先や支払額が変わっただけで、何を改革したというのだろうか。
社内が混乱した。収拾したが色んな人が傷つき、DXは禁句となった
もし、本当にDXをやろうとしたら、事業部を巻き込んで会社ごと変革しなければいけない。それには事業部門のデジタルへの深い理解と協力が必要になる。これは単なる除法処理の問題ではなく、権限を持った管理職の主体的かつ協力的な行動が重要だ。でないと、デジタルに熟知した新参者が吠えて旧来の事業部門のリーダーは抵抗勢力になる。それをやったら、こんな問題が現場で起こる。既存ベンダーが対応できない。はたから見ていると主導権争い、権力争いにも映る。
現場部門のほうが悪者になるケースもある。DXを強行したい経営者の思いが勝ち、現場はあきらめムード。実際に実行してみたら、既存事業が大混乱・・と言った事例も実際にある。
もしくは、DX関係者が更迭されるといった冒頭の記事のようなパターンもある。
どちらにしろ、DX自体が社内で禁句とされるのは間違いない。
まとめ
DXという言葉が流行る前から、実際システム開発は存在した。なのに急にDXという言葉が流行し出してから各社がこぞってこの言葉に飛びついたように見える。結局はシステム開発なのだ。企業とシステムの伝統的な関係性を無視して、いきなり大掛かりに事を進めることをDXと言うならば、それは幻滅に変わって当然だと思う。
外国企業のDXの事例を見ると、そもそも新興企業が多い。何のしがらみもなくイチから積み上げるので自然とデジタル実装できる。しかし、経営が百年以上続く大企業も多い日本では、既存のしがらみが深すぎる。それらの知見をかなぐり捨てた結果、せっかくある価値をどぶに捨てて取り組むようなパターンも多い。
今一度、SIの基本に立ち返り、DXなどと言わず、地道にデジタル利用について既存事業目線から積み上げていくべきであると考える。DXは終わったと言って過言ではない。